- 日時:2024年3月23日(土)、14時〜(開場:13時50分、終了予定:17時)
- 会場:心身楽々堂(大阪府枚方市くずは ▶︎交通アクセス)、オンライン(zoom)
- 定員:20名
- 参加費:無料
2024年3月23日(土)14時〜(日本時間)、『一三分間、死んで戻ってきました』の著者、作家の長澤 靖浩氏を心身楽々堂へお招きして、「臨終の扉を前に〜これからの見送り方、見送られ方〜」というテーマで講演会を開催いたします。
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整体を生業として17年目、この仕事を通じて数万人の方と向き合って参りました。その多くが、心身に深刻な痛みや不調、あるいは生きる悩みを抱える人たちです。その結果としてつくづく痛感することがあります。それは、現代日本の社会ほど、命の重さが軽くなってしまった時代や社会はないのではないか、ということです。
年間数万人が自ら命を絶つ。青少年の死因第一位は自殺。年間40兆円を超える医療費を使いながら、病人や寝たきりのお年寄りは増えるばかり。様々な理由で生活に困窮している人たちに十分な手当がされず、武器購入や外国支援には膨大な金が投じられる。多くの人が日常的に口と鼻を四角い布(もしくはその代用)で覆い隠し、効果もリスクも不明確な液体を体内に注入し、生命活動を阻害している……
なぜそうなるのか?様々な理由が考えられますが、根底にあるのは「死を日常から遠ざける思想や習慣」ではないかと私は考えています。生と死は一体であるのに、その事実に目を向けず、死に必要以上の恐れと不安を抱き、忌み嫌い、避け、遠ざける。そのことが却って生の充実を妨げ、命の尊厳を損ねている。そんな気がしてなりません。
一方で、経済活動(金儲け)が最優先される社会ゆえ、形骸化したり、意味や効用が正しく理解されずに続けている社会的習慣がたくさんあるように思います。予防接種や健康診断などはその最たるものだと思いますが、「葬儀」もそれらと並ぶ社会的習慣ではないかと思います。
「葬儀には金がかかる」のが一般常識のようになっており、葬儀社等が積立てを推奨することも多いようですが、本当に大金が必要なのでしょうか?共にこの世界を過ごし、あちらの世界へ帰っていく人を悼み、感謝し、真心込めて見送るのは素晴らしい習慣だと思いますが、なぜそれに大金が必要なのでしょう?
私は、2018年に母を、2020年に父を見送りましたが、諸事情により、葬儀や埋葬はかなり簡略化しました(それでも、それぞれ100万円は超えましたが)。そして、そのことにどこか“後ろめたさ”を感じていましたが、長澤靖浩氏の著書を読み、直接話を聞くことにより、かなり心が晴れました。
私たちは、常に「臨終の扉」を前にしながら生きています。その厳然たる事実に向き合い、この世を去る人をどう見送り、いつか自分が去りゆく時にどう見送られるのか。それらを考えることは、生を充実させること、つまり命の尊厳を取り戻すことにつながるきっかけになると考え、添付イベントを企画しました。
お近くにお住まいの方はお集まりいただき、長澤氏の経験に基づく話に耳を傾け、対話し、このテーマについて一緒に考えることができればと思います。また遠方で足を運べない方は、オンラインでご参加いただくことも可能です。一人でも多くの方のご参加をお待ちしております。
●『一三分間、死んで戻ってきました』販売ページ(一般書店やAmazonでは入手できません)
https://bookscope.thebase.in/items/77223148
※当日、著書のサイン即売をいたします(すでにお持ちの方はご持参いただければサインしていただけるそうです)。
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本お話会への参加は無料です。参加ご希望の方は、以下の「参加を申し込む」ボタンを押して、リンク先のフォームに必要事項をご記入の上、送信してください。オンラインで参加したいと希望される方が複数名いらっしゃったので、zoomでご参加いただけることにいたしました。