「志事」
私のある大切な友人は、自分の取り組みを“仕事”ではなく“志事”と表現する。
その友人とともに、昨日と一昨日の二日間にわたり、さまざまな人の「志事」を見て、聴いて、触れて、味わって、感じてきた。
心が洗われ、魂が浄められる、素晴らしい学びの場であった。
真の志事は、凄さだけでなく、深さがあり、根底に愛がある。
人の心を動かし、魂を揺さぶり、希望の光を与えるいのちの躍動がある。
志事は、自然の営みだからであろう。
志は、小さな種に豊かな実りが内包されているがごとく、すべてのいのちに宿っているものだと私は思う。
新たに作るものでも、立てるものでもなく、最初からあるもの。
それが、真の志ではないだろうか。
それゆえ、自然の雄大な風景を見て誰もが感動するように、真の志事は人の心に届くのであろう。
きれいごとを述べるのではない。
他者からの受け売りを垂れ流すのでもない。
見栄も虚飾も要らない。
一人ひとりが、自分の志に気付くこと。
日々の志事に、全身全霊を傾けて取り組むこと。
いま、ここを生ききること。
それは、とても簡単なこと。
簡単だと思えない場合は、洗脳されていることに気付けばよい。
ただ気付くだけで、すべてが変わる。
貴重な学びの場を提供してくれた友人と、ともに学びの場を共有した仲間たちに、心から感謝をする次第である。

