「掌ひとつの革命」
これは、私こと、西田 聡(にしださとし)の整体事業の標語である。
ご存じの方も多いと思うが「わら一本の革命」という本がある。
福岡正信さんという、自然農法を世界に指導して回られた方の著書である。
福岡さんは、常日頃から「わら一本で革命が起こせる」と、口にしておられたそうだ。
実は、これを真似させていただいた。
現代日本の社会を眺めて欲しい。
大なり小なり、生き辛さを感じる人が膨大に存在する。
医療費が高騰すればするほど、病人や寝たきりのお年寄りが増える。
年間2万人以上の人が、自ら命を絶つ。
そして、10〜30代の死因の第一位は自殺である…
この異常な社会を何とかしたい。
ずっとその想いを抱きながら、整体の仕事に取り組んできた。
その中で、気付いたことがある。
人間は、自然の産物である。
生まれながらにして、豊かな恵みと大きな可能性を備えている。
植物の小さな種子と同じように。
この真実が、すっかり忘れ去られている。
もしくは、歪められている。
それが、社会に噴出している諸問題の根幹にあると私は考える。
以下、福岡正信さんの著書より引用させていただく。
地球的規模での砂漠化、緑の喪失が深刻化している中で、かつて風光明媚を謳われた日本列島の緑も、今、急速に枯渇しようとしている。
しかし、それを憂うる者はあっても緑の喪失を惹起した根本原因を追求し撃破する者はいない。ただ結果のみを憂い、環境保護の視点から緑の保護対策をとなえる程度では、とうてい地上の緑を復活させることはできない。
飛躍しすぎた言葉ともとれようが、地球の砂漠化は、人間が神なる自然から離脱して、独りで生き発展しうると考えた驕りに出発するものであり、その業火が今、地球上のあらゆる生命を焼き亡ぼしつつある証(現象)だと言えるのである。
生命とは、宇宙森羅万象、大自然そのもの合作品である。その意味(過去)と意志(未来)を知らないまま、自然の対立者となった人間は自らの手で自然を利用して、生命の糧、食物を作り、生きようとした。このときから人間は、自ら母なる大地に反逆し、これを破壊する悪魔への道を進んだのである。焼畑に始まる農業の発達、人欲に奉仕する農法の変遷、文明発達の歴史が、そのまま自然破壊の歴史となっているのも当然であろう。
自然に流転という変化はあっても、発達はない。始めもなく、終わりもない自然が、しぜんに亡びることはないが、自然は愚かな人智によって、いとも簡単に亡びてしまう。
自然破壊は、自然の生命と一体化した人間の生命の自殺行為であり、人間による神々の破壊、死をも意味する。
神が人間を見捨てる事はないが、人間が神を捨てて、滅亡することはたやすいのである。
無明の悪魔の智をふりかざして、緑を失った大都市の上に築いた虚構の人間文明が、文字通り砂漠の空に描かれた蜃気楼として消え失せる日は近い。今、人間は帰るに所なき宇宙の孤児に転落するか、反転して神の園に還るか、その岐路に立つ。
人類の破局を救う道は他にない。
まったく同感である。
これと同じことが、医療の産業化によって生じているのである。
私たちの整体は、器具も道具も使わない。
電気も鍼も使わない。
掌ひとつだけを使い、自他の命の力を覚醒させる。
そこに、特殊な技術は必要ない。
理屈とコツさえわかれば、誰でもできることである。
素晴らしいのは技術ではない。
誰もが本来備える命の力こそが、素晴らしいのである。
この真実に気付く人が増えれば、健康に生きる人が増える。
医療費は、激減する。
反対に、何よりも、自分らしく、自立して、自由に生きる人が増える。
それは、ひとつの革命である。
つまり、自分の掌ひとつさえあれば、革命が起こせるのである。
その想いや志を、日々のいろんな出来事を通して綴っている。
それが、このブログである。