ガス抜きに終わらせないために

社会について

昨日、8月30日(日)。
東京の国会議事堂前に、安保法案に反対する人たちが12万人集まったそうだ。

これを、数千人と報道するマスコミもある。
35万人と知らせる者もいる。
いずれにせよ、このことを通じて感じたこと、思うことがあるので、書き留めておく。

150830デモ2

ひとつは、政府とマスコミの実態があからさまに露呈したことだ。

今朝、8時半頃、テレビ各局がこぞって取り上げていたのが、岡崎市のコンビニ強盗事件だ。
犯人が立てこもり、警察が突入し、身柄を確保したというものだ。

150830コンビニ強盗

確かに物騒な事件ではある。
身近に起きれば、大事件となるであろう。

しかし、全国ネットの各テレビ局が、何十分にもわたり、報道するような大事件だろうか。
キャスターやコメンテイターが、長々と解説すべき必要があろうか。

冒頭にあげた通り、昨日は国会前で10万人規模のデモ集会が行われたのである。
さらには東京のみならず、全国各地で安保法案に反対するデモが行われていたそうである。

こちらの方が、よほど大きな出来事だと思うが、違うだろうか。
取材をしたり、解説を加えるなら、こちらの方がよほど意味があると思うが、どうだろうか。

150830デモ

安保法案に関する是非は、ここでは言及しない。
ここで述べたいのは、なぜこれほど大きな出来事を、テレビ局が取り上げないのかということだ。
なぜ地方都市の小さなコンビニ強盗の事件を、長時間にわたり扱うのかということだ。

そもそも、テレビは「洗脳装置」である。
真実を伝えるのではなく、ある特定の者たちに都合のよいことを伝え、民衆を操作する。
わかっていたことではあるが、それが如実に示されたと思う。

いくらネットが普及したとはいえ、テレビで情報を得る人が圧倒的大多数だ。
だから、国は必死になって(いや、あっさりと、あるいは淡々とかもしれない)、安保法案が大多数の国民の関心事にならぬよう操作しているのであろう。

今朝は、そのあからさまな姿や構図が露呈した。
彼らが「どうだ、いくら騒いでも無駄だ」と誇示しているようにもうかがえる。

media

もうひとつ、私が思うのが、この類のデモが「ガス抜き」に終わってないかという懸念だ。

おそらくは、政府やそれを操る者たち(以下“彼ら”と称す)は、大規模デモなど何とも思っていない。
前述の通り、寝た子を起こさぬよう、手を打っているに過ぎない。

大きなデモをしても、署名を集めても、きっと彼らは痛くもかゆくもないのだ。
彼らは、選挙結果さえ自在に操作できるのである。
要は、私たちがどんなに頑張ったところで、彼らの描いたシナリオ通りに進む以外に道はない。

きっと彼らは、大半の者はデモに参加しただけで満足してしまうことがわかっているのだ。
むしろ、ガス抜きとして、デモを歓迎しているかも知れない。
先に述べた本日のマスコミの報道は、彼らがその程度にしか捉えていない証拠である。

おそらくは、デモに参加した大半の人はサラリーマン、もしくはその家族だろう。
もちろん、自営業者もいるだろう。
いずれにせよ、デモに参加した後は「あぁ、よくやった」と満足し、翌日からは日常生活に戻る。

今後も、反対の声を上げたり、ブログやFacebookの記事を投稿するかも知れない。
勉強会やセミナーを主催する人も、いるだろう。

しかし、多くの場合、自分が変わることはしない。
安全なところに身を置き、既得権益にしがみつき、遠吠えするばかり。

いま、なぜ政府は必死になって安保法案を可決しようとしているのか。
その背景や理由を、ぜひ調べてみて欲しい。

もしかしたら、自分はサラリーマンとして、あるいは自営業者として、彼らが作った搾取システムの歯車となり、間接的に戦争に加担しているかもしれないのだ。
何も軍需産業に従事せずとも、経済発展至上主義の歯車として働くこと。
どこに所属しようと、それはやがて戦争につながっていく可能性があることを、私たちは知るべきだ。

しかし、そんなこと考えもしないか、知っていても目を瞑る者が大半であろう。
自分が変われないのに、社会が変わるわけがない。

医師の内海 聡さんが、著書「この世界を変える方法」の中で次のように述べておられる。

なぜこの本を書いたのか。それは私自身が、もはや情報を集める時期は完全に過ぎ去ったと感じているからだ。情報をただ集めるのではなく、実際に行動するときであり、行動する人を増やすときであり、この本を読んだあなたが、まわりに影響を与える人になるときなのだ。

私も、大いに共感する。
では、実際に行動するとは、どういうことか。

デモへの参加も、ブログやFacebookを使った情報拡散も、行動には違いない。
勉強会やセミナーも、大いにけっこうだ。

しかし、ガス抜きに留まっていないか、十分に注意が必要だ。
ガス抜きに満足せず、具体的に行動することが、いま本当に必要だと私は思う。

彼らに影響を与える具体的な行動は、大きくふたつあると思う。

ひとつは、お金の使い方を変えることだ。
ひとつは、働き方を変えることだ。

いかに彼らが謀略をめぐらしても、サービスや商品が売れなければ、搾取システムは稼働しない。
また、働き手がいなくなれば、組織やシステムは機能しなくなる。

サラリーマンがいなくなれば、社会は大混乱に陥るであろう。
サービスや商品が売れなくなり、困窮することも大いにあるだろう。

しかし、そうでもしない限り、この国は変わらない。
そして人類と地球は、滅亡に向けて、いっそう歩みを進め続けるしかないであろう。

これを読んだ人に、ぜひ心に留めて欲しいことがある。

一人の力や行動などちっぽけなものだとは、決して思わないで欲しい。
社会を変えていく原動力は、個人にあるのだ。
一人ひとりの心と行動が、やがて社会を変えていくのだ。

本当に困難な時代に生きているが、歴史の転換となる、とても面白い時代に生きているとも思う。

<参考>
戦争は、作られる
脱原発より、脱サラリーマンを

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コメント

  1. 田村隆 より:

    はじめまして、石川県金沢市在住のタムラと申します。西田様のご意見に、とても共感いたします。自分自身が思っている事と一緒でした。なかなか手ごわいですよね。当たり前ですが、勝手ながらシェアさせていただきます。

    • 西田 聡 より:

      田村さん、はじめまして。
      コメントいただき、ありがとうございます。

      デモに参加するのはよいと思います。
      何ごとも現場に身を置くことにより、傍観しているより遥かに多くの気付きや学びがあると思います。
      願わくは、それらが次の行動の引き金になることです。
      そういう想いで、本ブログ記事を書きました。

      それと、何よりも大切なのは、根底を流れる思想だと思います。
      誰かや何かを批判するとか、闘いを挑むという思想は、終わりのない戦争につながると思います。
      少なくとも、武器に武器で対抗して守る平和など、欺瞞もよいところです。

      私がこのようなことを申し上げると、「おまえだって武術稽古してるじゃないか」と批判する人がいます。
      なかなかご理解いただけないことなのですが、日本の伝統武術は「闘わない」という思想が根底にあり、それを現実のものとする理合いや作法があります。
      それ以前に、個人が武術の稽古をするのと、国家が武装をするのは、まったく別の次元の話です。

      少し前に、集団的自衛権を小学生の集団登校に例えた有名人がいて、「うまいたとえだ!」と、たくさんの人が共感していました。
      私は驚きのあまり絶句しましたが、日本人の感性はそこまで鈍っているのでしょう。
      巧みな誘導や扇動にまんまとのってしまうのも、無理はないと感じます。

      隣国のことよりも、もっと大きな危機が迫っていることを、私たちは知るべきです。
      ほんの数百年で、私たち人間は、環境を汚染し、資源を枯渇させ、気候変動や生物多様性の喪失を招き、「現代は6度目の絶滅期」と唱える生体学者もいるそうです。

      「人類は自然に対して戦争をしかけている」

      経済学者E・F・シューマッハの言葉だそうですが、まさに箴言だと思います。
      このような時代にあり、私たちが何をすべきか、世界レベルで一人ひとりが真剣に問い、自らの良心に目を開き、勇気をもって行動すべき時だと思います。
      すべての創造の源である心をいかに使うかが、真に問われていると感じます。

      今回の歴史に残るデモが、日本における、その大きなきっかけのひとつとなることを心より願う次第です。

      長いコメント、たいへん失礼いたしました。
      最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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