【「仕事」とは】
ㅤ
仕事とは、文字通り“仕える事(つかえること)”である。現代社会においては、上位者や組織に仕えることが主流である。戦後復興期や高度経済成長期など、社会を立て直し、建設するためには、それが必要だったかも知れない。
しかし、経済成長至上主義の矛盾と限界が見えて来ている現在、誰(何)に仕えるのか、思想と実践を改める必要があると思う。私は「(本当の)自分に仕える」ことが必要だと考えている。
本当の自分に仕えるとは、自分が心からやりたいと思うこと、価値あると思うこと、大好きなことに命を尽くすことである。命を尽くすとは、時間とエネルギーを費やすことである。
仕事は、次の三つの側面(意味、目的)を持つ。
1)ライスワーク:生活の糧(=お金)を得る
2)ライフワーク:生涯かけて取り組み、成長する
3)ライトワーク:人と社会に光(希望)をもたらす
日本人の大半は、1)のためだけに仕事を選び、従事しているだろう。つまり、お金を得るため、生活のため、家族のために、仕事をする、そんな人が大半だと思う。それはそれで立派なことだが、もし会社が潰れたらどうするのか?それはなくとも、定年後に何をして過ごすのか?
好きなこと(=趣味)と仕事は分ける。そんな生き方もあるだろう。しかし、毎日、自分の時間とエネルギーの多くを、好きでもない仕事、やりたくもない仕事とそれに付随する雑事と通勤に費やすことに、少なくとも私は命をすり減らすような虚しさと苦しみを感じていた。
47歳まではそうやって過ごした。使命感と一定以上のやりがいを持って従事していたが、心からの喜びを感じることはなかった。その仕事がライフワークやライトワークになるとは、思えなかったし、大量生産と大量消費を前提とした経済活動に大きな疑問を感じていた。そもそも幼い頃から競うこと、争うことが大の苦手だった。
そんな仕事に命を尽くすことに大きな違和感と罪悪感を感じるようになったのだ。毎日、苦痛を感じながら通勤するのは、ブレーキを踏みながら、アクセルを踏み込むようなものである。正常に走れるわけがないし、故障の原因にもなる。
心を病んだのは、当然の結果である。ついにはうつになり、自己嫌悪の塊になった。人生に絶望し、ひどい時期は「死にたい、消えたい」と思いながら日々を過ごしていた。人に話しても理解されず、そこを抜け出る方法もわからず、本当に辛く、苦しい日々だった。
今、いろんな人から話を聞く機会があるが、同様の状態で過ごしている大人が膨大に存在すると思われる。どうか、かけがえのない唯一無二の自分の命を慈しみ、一度しかない人生を大切に過ごして欲しい。
大人の写し鏡である子どもたちのためにも、世界は広く、選択肢は無数にあり、可能性は無限大であることを知って欲しいと強く願う。特に今が辛い、苦しいなら、この期に自分と仕事に真摯に向き合って欲しいと思う。

