【整体は“杖(つえ)”である】
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今回、大峯山を登るにあたり、同行者たちから勧められて、出発前に宿で杖を買い求めた。少しでも登山が楽になればという期待であったが、往路も助けられたし、復路は杖無くしては下山できなかったであろうほど、杖に助けられ、そのありがたみを痛感した。
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大峯山の登山道は、岩肌が露出している場所が随所にあり、大小様々な石が散乱している。おまけに木々の根が這い回っている箇所も多く、常に足元が不安定で、非常に歩きにくい。急勾配には木製の階段が設置されているが、踏み面の幅や間隔が一定ではなく、気をつけねば踏み外してしまう。
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そもそも山歩きに慣れていない私は、登山口である女人結界門をくぐり10分も経過しないうちに、この道を3時間も歩き続けるのは到底無理と感じた。たとえ登れたとしても下山はできないと思い(一般的に下山は速度は上がるが、足運びに注意が必要なため疲労度は増すと言われている)、安易に参加を決断した自分を呪った次第である。
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険しい行場のことはまたの機会に譲るとして、問題の復路。往路約3時間強の登山に加え、険しい行場をいくつも経て、筋肉疲労と精神疲労が極限に達していた。エネルギーが減衰し、歩行が不安定になったことに加え、元々怪しかった右膝が激しく痛み出した。とてもじゃないが、下山は諦めようと思ったくらいである。
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しかし、同行者たちに迷惑をかけることはできないし、言い出した以上は絶対にやり遂げるという意地もあり、歩き始めた。下山は放置すると速度が出て、制御しなければ、ちょっとした突起につまづき、転倒する。制御するための筋肉疲労が極限に近づいていたため、杖に支えられ、頼りながら、歩みを進めた。つまり、冒頭に述べた通り、杖が無ければ、私はとても下山できないか、転倒落下して大怪我をしていたに違いない。
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そんな最中であったが、常に仕事が頭から離れない私が咄嗟に思い付いたのが、表題にある【整体は杖である】ということ。私を今回の旅に誘ってくださったMさん(女性霊能者)が「お山は人生のようなもの」とおっしゃっていたが、まさにその通り。いずれも嬉しいこと、楽しいことも多々あるが、どちらかというと苦しいことや辛いこと、困難や障壁の方が多いかも知れない。
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そんな時に、頼れる存在となるのがお山の場合、杖であるが、あくまでも支えであり、歩き続けるのは自分自身であり、杖をコントロールするのも自分自身。何よりも、その経験を通じて自分自身が成長することが大切である。そのような、人生において便りにはなるが、依存をさせず、人の成長に寄与する杖のような整体でありたい。改めてそのように感じた次第である。
整体は“杖”である
整体即人生、人生即整体
