【日本文化への憧れ】
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一週間くらい前に岡本よりたかさんが投稿されていた記事に共感したので、自分なりの見解を加えてシェアさせていただく。
私が日本文化に関心を持ち始めたのは、30歳を過ぎた頃だった。当時勤務していた会社から欧州出張を命ぜられ、ドイツとフランスに二週間ほど滞在した。商談をまとめるとか、プロジェクトを進めるなどではなく、現地の展示会をいくつか視察するという、比較的楽な出張だった。
海外へ行くのは二度目で、欧州は初ということもあり、激しいカルチャーショックを経験した。欧州文化の豊かさと美しさ、奥深さに大きな感銘を受け、人生は楽しむためにあり、それを支えているのが文化だと心底思ったのである。
それに比して、日本の文化は地味で古臭く、飾り物としての価値しかなく、私たちの日常生活とは全く乖離したところに存在している感じがして、そこに大きな疑問を抱くようになった。
母方の祖父が古美術や仏像、神社仏閣などを専門に撮影する写真家だったせいか、幼い頃から日本の文化は身近に存在していた。しかし、それらとは全く無縁の状態で、私は日常生活を送っていた。それが欧州出張を機に、大きな変化が生じた。
当時の勤務先には、福利厚生の一環として、「茶道部」が設置運営されていた。先生は70代の女性だったが、その立ち居振る舞いや所作の美しさに大きな感銘を受けた。失礼にも、その先生に、なぜ茶道の作法はこんなに面倒なことが多いのかと尋ねたら、次のような返答があった。
「面倒を楽しむのが人生よ」
なるほどなぁと深く納得した。それを機に、さらに日本文化を探究したい気持ちが増した。しかし、仕事の都合で茶道部参加が休みがちになり、また以前から興味のあった合氣道道場を自宅近所に見つけたことこともあり、私は茶道から離れ、合氣道にのめり込むことになった。
私が探究した限りであるが、武道は身体的にも、精神的にも、私たちの日常生活と密接に関わっていることを知った。特に合氣道は「世界和合の道」として創始された武道であり、世界の中にある日本のあり方とも大きく関わっていた。
整体の道へ入ったのも合氣道がきっかけであるが、整体も武道も、明治維新と先の大戦を機に大きく変質している事実を目の当たりにした。自然を支配するという西洋的価値観が侵食し、効率や見た目のすごさが重視され、武道は勝敗を競う競技スポーツと化し、格闘技的な側面が強調されるようになった。また、整体は治療的側面ばかりが強調されるようになった。
その変質は時代の必要必然であるし、普及や文明の発展という観点では大きな意味があったかも知れない。しかし、昨今の状況を眺めていると行き過ぎているという感じがしてならない。特に日本人の精神性の根幹をなす「自然との調和」や「利他の心」、「礼節」や「矜持」などが忘れがちなっているように思う。
日本文化の真骨頂は、精神性にこそあると思う。精神性を喪失した武道は、暴力の手段になりかねないし、整体は現代医療と同様、患者の依存を増長しかねない。
だから、古臭いと敬遠されるかも知れないが、武道も整体も、日本人本来の精神性やそれに根ざした実践を取り戻し、文化として生活の中に根付かせていくことが、今、とても重要だと考えている。


