【下坐(げざ)に生きる】
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今、読んでいる最中の本『下坐に生きる』。「下座」ではなく「下坐」。建物の中ではなく、土の上に、人が並んで坐る。そこに意味があるそうだ。
「下坐行」とは、
身を低くし、頭を低くし、地位が不当に低かろうとも、不満の色を見せず、目の前のことに打ち込むことにより自分自身を磨くこと
だそうだ。
以前から、私は、整体修行の象徴として、八瀬大原三千院の庭に設置されている「わらべ地蔵」をイメージしていた。
大地に根を下ろし、風雪風雨、灼熱、極寒に耐えつつ、苔むし、報われないながらも、微かな笑みを浮かべ、一心に祈り続ける。それは「下坐行」の姿そのものという感じがする。
派手さも華やかさもない、地味で不器用で損な生き方かもしれないが、私の性に合っているようだと、最近つくづく思う。
以下、下坐行に徹した詩人、坂村真民先生の詩をいくつかご紹介する。
●時間をかけて
あせるな
いそぐな
ぐらぐらするな
馬鹿にされよと
笑われようと
自分の道をまっすぐゆこう
時間をかけて磨いてゆこう
●たんぽぽ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれをわたしの魂とする
●鈍刀を磨く
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
じんじんみ みよう
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ

