「父の日に」
昨日は、父の日でした。
私には、二人の息子がおります。長男は大学の三回生、次男は大学の二回生です。
事情があって、現在は、二人とも離れて暮らしております。私も先週末から行事続きで忙しく、父の日どころではないという状況でした。
そんな状況だったからか、昨日、二人がそれぞれメールをくれました。
それぞれ、自分の言葉で、素直な気持ちを伝えてくれました。今まで、そんなこと、したことなかったのに・・・とても意外に思うと同時に、涙が出るほど嬉しかった。
父親の役割とは何か。あるいは、父性とは何か。
二人の息子への返事を書きながら、改めて考えてみました。それは、一言で申し上げると、
「理(ことわり)を示すこと」
ではないかと思います。
ここで申す理とは、真理、道理、条理など、すべてを含みます。しかし、最も大切なのは、一般常識や社会通念、既成概念などに囚われず、
「自分が正しいと思うことを我が身をもって示す」
ことではないかと思います。
現代社会は、いま、大きな転換期にあります。ここ百年ちょっとで築き上げた文明社会の延長線上に、どのような未来が待っているか。それに気付く人も、少なくないと思います。
一般常識や社会通念とされていることには、巧みな洗脳や、意図的な扇動が含まれています。そんな時代、社会だからこそ、父性の発揮が本当に必要だと感じます。
現代の社会通念からすると、私はとんでもない父親です。息子たちがいちばん多感な時期に、さまざまな家庭騒動を起こしているからです。自分勝手で常識のない父親と批判や非難をされても、仕方がないでしょう。
しかし、いま、やらなければならないことがある。
どのような評価を下されようが、批判や非難を受けようが、私は自分に嘘をついたり、誤魔化すことはできません。高い評価を受けることもなければ、大儲けをすることもできない。
そんな仕事であっても、我が身をもって理を示し続けていくことが、自分の役割だと思っています。
そんな不甲斐無い私であっても、彼らは心と言葉を尽くして、メールをくれた。それが、本当に嬉しかったのです。
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二人の息子たちへ。
きみたちが、いずれ父親になるのか。それ以前に、結婚をするのか。それは、私にはわかりませんし、自分の好きにすればいい。
しかし、いつの日か、父性に目覚めてくれることを切に願います。自分の信じる道を、全身全霊を傾けて、正々堂々と歩んでくれることを願います。
それが、自分のいのちを輝かせることであり、最高に幸せな道だからです。そのためなら、私はどんなことでもします。
モノを贈ったり、一緒に食事をすることだけが、父の日ではない。大切なのは、心を伝えることである。彼らは、今回のことを通じて、それを教えてくれました。
そばにはいれなかったけど、最高の父の日でした。本当に、ありがとう。
<本日の写真>
本年3月末、長男が帰省した際に撮影したものです。以前にもご紹介したものですが、とても気に入ってる1枚なので、最掲載させていただきます。

