【整体の実践】
現代は、非常に息苦しく、生き辛い社会だと感じる。誰もが、健康、癒し、幸せを求めているが、なかなか手に入れるのが難しいようである。
健康、癒し、幸せ。この三つは、全て同じだと考えている。それは、自然、自立、自由な生き方を実践することから得られる、心の平安と命の調和である。そして、これこそが、整体の実践を通して実現したいことであり、提供したいことである。
心身の痛み、病気と呼ばれるもの、不快で辛い症状。一般的には、これらを治めることが整体の役割と考えられているが、私の考えは異なる。痛み、病気、症状の治癒は、整体を実践する中で自然に(当たり前に)得られる一つの結果に過ぎないと私は考える。
また、痛み、病気、症状の治癒は、一つの過程に過ぎないとも考えている。目指す境地は、冒頭にあげた「心の平安」と「命の調和」であり、現時点の境遇や状態に関わらず、常に希望をもって、歓びと感謝の気持ちに溢れて生きることだと考えている。
「西田の言うことは綺麗事だ。西田は治せない言い訳をしている。治せない整体師など存在価値がない」
そのような批判を散々浴びてきた。それに対して反論や抵抗をした時期もあった。激しい対立や戦いもあった。しかし、結果的にそれらは全て手放した。私には治せないし、治そうとも思わない。存在価値がないと言うなら、それでも結構。
私は、ただただ、訊ね、聴き、寄り添い、受け取り、見守ることにより、その人の内発的な気付きや、命の力の発動を待つのみである。そのクオリティをあげることが、整体修行の肝要だと考え、日々、精進を重ねている。
かように偏屈で頑固な私のもとで、学びたいとおっしゃる奇特な方がいる。前職を辞して退路を断ち、人生をかけて、学んでくださる方もいる。本当にありがたいことであり、彼らが幸せに生きている姿を眺めると、私は心からの幸せを感じる。
一方で、社会には「新生活様式」なる極めて不自然で醜い慣習が、じわじわと浸透し始めている。このままでは、ますます生き辛い社会になることは間違いない。まだ先が長い若者や子どもたちは、どう感じているのだろう。
人は、希望を失った時に、自ら死を選ぶのだと思う。若い人が自死するのは、この上なく悲しいことだ。マスコミが取り上げるのは、そのほんのひとつまみに過ぎず、人知れず、膨大な若い命が損なわれていることを思うと、身を裂かれるように辛い。
それに対して、私たちはあまりに無力だ。できるのは、自らの生き様を通じて、一隅を照らすのみである。しかし、それすら放棄している大人があまりに多過ぎないか。いつからでも遅くない。一人でも多くの大人が、自分の生き様を顧みることを願う。
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「整体の実践、私の場合」と題して、整体塾門下生との対話をライブ配信する試みを検討している。彼ら彼女らの生き様に触れることにより、誰かの心に灯がともることを願って。
整体の実践
整体即人生、人生即整体
