【目の前に差し出されたものは、しのごの言わずやってみる】
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(先週末に出かけた、大峯山修験道体験記の続きです)
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山歩きなどほとんどやったことのない私が、往路、約3時間の登山を経て、やっとたどり着いた「山上ヶ岳」。ここには主な行場が三つあります。一つめが「油こぼし」と呼ばれる、約50mの険しい崖。油をこぼしたように足が滑る難所だったそうですが、現在は鎖を使って、比較的容易に登れます。
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二つめは「鐘掛岩」と呼ばれる、役行者によってつり鐘が掛けられたとされている巨岩です。鎖を頼りにそびえ立つ岩を登りますが、足を掛ける位置と順番を間違えると登れなくなってしまうという難所です。それなりの腕力と脚力が必要で、自分の体重を怨みました。
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以上の二つを経て、やっとたどり着く三つめが、先日の投稿【15歳になりました】でご紹介した「西ノ覗」です。普段、運動らしい運動もせず、身体が鈍り切っている上、還暦を超えて急速な体力の衰えを自覚し、しかも高所恐怖症の私には、いずれも厳しい行場でした。
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しかし、以上の三つは「表行場」であり、さらに険しい「裏行場」があったのです。先達さんに「新客(=修行初参加者)さん、裏行場はどうしますか?」と聞かれましたが、予定にはなかったし、西ノ覗を終え、後は下山するだけと安堵していたので、私の心は当然NO!でした。
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ところが新客として同行していた20代の青年(私の次男よりも若い!)が、あろうことか「可能なら行きたいです!」と……「コイツ、人の気も知らんと、何アホなこと言うとんねん!」と、その時の私は、怒りと悲しみと落胆に満ちた、複雑な表情をしていたに違いありません。
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私だけ「体力が限界に近く、下山が心配ですので、遠慮しときます」と言い訳して断っても、非難も馬鹿にもされなかったことでしょう。でも私はそうは口にせず、目の前に差し出されたものは、しのごの言わずやってみる、そして何としてでもやり通す。そんな半ばヤケクソに近い心境になっていました。
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裏行場は、想像以上に過酷でした。普段、運動している20代の彼には屁でもなかったかも知れませんが、往路の登山3時間+表行場で疲労困憊していた私にとっては、まさに命懸けの挑戦でした。特に最後の難所は、僅かな油断が確実に死につながる、そんな行場でした。
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それを終えてから3時間足らずの帰路(下山)は、これまた本当にたいへんでした。その様子は、やはり先日に投稿した【整体は“杖”である】をお読みください。出発から、合計7時間半、ほぼ歩き通し、登り通し。事前に詳しく知っていたら、絶対に参加しなかったであろう難行でした。
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しかし、不思議なことに、参加して本当に良かったと心から思いました。「目の前に差し出されたものは、しのごの言わずやってみる。そして何としてでもやり通す」ことの大切さを、改めて教えられたと感じたからです。
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15年前、47歳の時に、24年間勤務した大手企業を辞め、整体という未経験の仕事、未知の業界で起業するという道も、こんなにも大変な目に遭うことがわかっていたら、選択していなかったかも知れません。でも、この道を選択して本当に良かったと、今は心から思えるのと似た感覚です。
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誰もが無難に、安全に、楽に過ごすことを望みます。しかし、それだけでは大きな進歩や成長は望めないことを、私たちは心のどこかで知っています。だから「目の前に差し出された」と感じたら、リスクや無理を承知で、直感に従って行動するのではないでしょうか。それによって、人生が大きく好転することも、きっと知っているのです。
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改めまして、今回、この修験道体験にお誘いくださったお友達のMさん、ご一緒してくださった皆さま、本当にありがとうございました。起業15年を経て、新たな道を歩もうとしている私にとって、この上なく素晴らしい経験となりました。
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なお添付の写真は、裏行場にご一緒くださった20代の青年が撮影してくれたものです。裏行場へ誘ってくれた彼にも、心から感謝しています。私は写真を撮影することはおろか、周囲の景色を楽しんだり、恐怖心を抱く余裕すら失っていました。お恥ずかしい限りです……
しのごの言わずやってみる
整体即人生、人生即整体


