【再び、自転車に…】
もう40年近く前のこと。大学時代に企業実習(現在はインターンシップ制度と呼ぶのであろうか)というものがあり、大手ゼネコン設計部で1ヶ月ほどお世話になった。担当してくださったのは、当時30代半ばのバリバリ中堅社員だったが、サラリーマンには珍しい豪快で型破りな方だった(仮にHさんと呼ぶ。本人に言うと絶対に怒ると思うが、漫才師の西川のりおに似ていた)。
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実習の内容としては、Hさんの案を模型に起こす、Hさんがラフに描いた図を設計図面におとすなど(当時はCADはなく、ドラフターを使い、トレーシングペーパーに鉛筆で描いていた)。Hさんに見てもらうのだが「屁みたいな線やのう」と酷評され、描き直す…そんな繰り返しで、大いに迷惑をかけていたと思う。
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しかし、Hさんは「西田みたいなボーッとした奴がそばにおると心が和むわ」と、なぜか私を可愛がってくださった。ほぼ毎日、定時近くになると、耳元で「西田、ちょっと出よや」と囁かれ、早い時間から飲みに連れて行かれる。ハシゴは当たり前で、平均すると4〜5軒を飲み歩く。私に飲み代を出させることは一切せず、経費(接待費等)で落とすこともせず、全てHさんのポケットマネーであった。
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Hさんが、酒(とカラオケ)以外に熱中していた趣味が自転車だった。もちろん、通常の自転車ではない。ロードレーサーという、いかに速く走るかを目的に、設計や組み立てをされた自転車である。「いっぺん乗りに来いや」と言われ、Hさんのご自宅を訪問し、初めてロードレーサーに乗せてもらった。その時の感動は、今でも忘れない。
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Hさんの古い自転車ではあったが、細身で軽量のロードレーサーは、少し漕いだだけでぐんぐんスピードが出て、風を切って走る。視線も高く、これまで乗った自転車とは全くの別物であり、走るだけで大きな快感を味わえた。すっかり魅了されてしまい、Hさんが自転車仲間と計画していた「伊勢自転車旅行」に誘われ、無謀にも飛びついてしまった。
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伊勢神宮までは、100kmちょっと。行きは自転車で、帰りは輪行(自転車を分解して専用のカバンに入れ、電車で帰る)というプラン。楽勝と思ったが、甘かった。伊勢までの道のりは、山をいくつも越えねばならず、想像以上に厳しかった。Hさんから「若いのに、あかんやっちゃのう」と罵倒されながらも、何とかたどり着いた。
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しかし、この経験が元で、私の心に火がついた。大学の同級生に自転車に詳しい人間がいることを知り、彼にアドバイスを受けながら、彼が行きつけのショップで、オリジナルのロードレーサーを組んでもらうことにした。組み上がったときは嬉しくて、嬉しくて、寒くない時期は、片道約25kmの距離を自転車通学していた。
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そのうち卒業制作が忙しくなり、就職、転勤、結婚、子育て等いろいろあり、自転車からは遠ざかっていった。しかし、今般、諸事情によりクルマを手放したことを機に、新しい自転車を手に入れた。今度は、ロードレーサーではなく、マウンテンバイク(MTB)を選んだ。街乗りならロードレーサーの方が圧倒的に有利なのに、なぜMTBを選んだのか?
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その理由は、1)繊細なロードレーサーよりも、無骨で頑丈なMTBの方がビジュアル的に私好みだということ、2)畑の畦道などのオフロードが、生活圏内に少なからずあること、3)いずれ山道走行を楽しみたいと考えていること…などである。自宅近所に専門ショップがあったのも、幸いしている。
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自転車は、乗って楽しい、触って楽しい、眺めて楽しい。一生続けられる、素晴らしい趣味だと思う。最近では、補助駆動装置の付いたものも普及しているが、私はあくまでも「人力」にこだわる。常に危険と隣り合わせであり、キャンプと同様、自然にとけ込み、野性を取り戻す一助にもなる。連れ合いも興味津々のようなので、そのうち引きずり込みたいと考えている。
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さて、私はそのゼネコンへの入社を希望したが、入社試験で落ち、別の会社にお世話になることになった。でもHさんは短い期間ではあったが、私にデザインとは何か、仕事とは何かを叩き込んでくれた大恩人である。その後、Hさんは管理職に昇進し、しばらくしてから退職し、独立自営を始めたと聞いたが、詳しくは不明。
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デザイナーとして、人間として、男として、とても魅力的だったHさん。現在は70歳を越えておられるだろうが、あれだけの大酒呑みゆえ身体を壊していないか、まだ自転車に乗っておられるのか…ぜひ会ってみたい。
再び、自転車に…
好きなこと・好きなもの
