大きな病気一つしたことのないわたしが、神経疾患の一種である難病を発症したのは、まだ三十代のころだった。
手に持った物をよく落とすようになり異変に気付いた。握力は著しく低下し、足は上がりにくく、次第に引きずって歩くようになった。まだまだ子育て真っ盛り、体を動かすのが大好きだったわたしを襲った突然の体の不調。
入院するも当時病院では手立てがなかった。脳や脊髄に起こる炎症は寛解と再発を繰り返す。さらに悪いことに、今後運動機能が悪化していく可能性が高いという。
大きなショックだった。この状況をすんなりと受け入れられるはずもなく、考えることと言えば、たいてい最悪なことばかりだった。絶望と涙と灰色の世界が延々と広がる。
不完全な回復のまま寛解となったわたしの、自宅での生活は一変した。顔を洗おうにも上手く水がすくえない。お椀をこぼす。雑巾が絞れない。子供の髪の毛が結べない。背中が洗えない。料理、洗濯、ボタン、針仕事、小銭、眺細、瓶の裁、階段、段差・…・手足を使うことに時間をかけては失敗の繰り返し。上手くできない繊細な動き。おまけにすぐに疲れてしまい、伏せる時間も長い。
動く時には当たり前だったことができない自分。使っていた物が使えない自分。
目に映るものすべてに、手を使えない者は生きるなと言われているような気がした。
それでも、この体を使い暮らしていかねばならない。毎日必死だった。孤独で過酷な作業だった。この痛みや痺れ、しんどさは誰にもわかってもらえない。さらに悪化していくかもしれない将来を思うとやりきれなかった。
「明日は目を覚まさなくてもいいので、どうか終わりにしてください」
夜、布団の中で誰に祈るともなくそんなことを呟いて目を閉じる。しかし、きちんと目は覚め、嫌でも朝はやってきた。
いったいあとどれだけの辛い夜を重ねなければならないのか・・・・・・。楽になりたい….。自分を極限まで追いやってしまったことも正直ある。しかし、わたしは自らで終わらせることはできなかった。
涙も枯れ果てたころには、一つの事実に開き直った。ずっと生きている人間はいない。生まれたら必ず終わりは来る。わたしは、この地獄を「生きてやろう」と思った。しかし、それは決して晴れやかなものではなく、日々沸々と湧き上がる憤りと共にあるものだった。
そんな中再発。わたしはまた入院することになる。その時に出会ったのが、あのちょっと変わった人だった。生きることにつんけんしていた当時のわたしにとって、それは大きな出来事だった。
「わたくしは、イヤシヤです。ご気分はいかがですか?」わたしの担当になったと病室を訪れた人は、そう言ってにこにこしていた。
初めて会ったその人に、わたしは蠣を切ったように話し出した。きっと、こんなふうに自分の気持ちを聴いてくれる場面は、今までなかったからだ。生きてやろうとは思っていたが、イライラした気持ち、やるせなさや辛さ、怒りをここぞとばかりにイヤシヤにぶつけた。今思うとひどいものだ。
けれど、イヤシャはうんうんと頷きながら、その話を聴いてくれた。そして、ゆっくり一言こう言った。
「生命力ですね」

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