【自由を求める者たちへ】
13年前、私がサラリーマンを辞めて整体師に転じた最大の理由は「自由が欲しかったから」である。自由とは、文字通り「自らに由る(みずからによる)」ということであり、自分の価値観、真意、信念、良心に従って行動することである。50歳を目前として、残りの人生はどうしても自由に生きたかったのである。
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サラリーマンは、何もかもが自由にならない。所属部署、業務内容、出勤時間、勤務形態、勤務地、休暇、給料をはじめとする処遇、服装などなど、全て勤務先が決めたことに従わねばならない。私は、出勤時間や服装などは、ある程度自由にさせてもらっていたが、それでも生き苦しくて仕方がなかった。それは、なぜか。
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そもそもの仕事自体が、自分が本当にやりたいことではなかったからである。というか、拡大と効率をどこまでも追い求め続ける企業活動そのものに、心底嫌気がさしていたからである。この場に居続ける限り、自分は絶対に幸せにはならないし、下手をすると死を選びかねないほど思い詰めていた。
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しかし今は、自由に生きている。自由とは勝手気ままとは少し違う。故 渡辺 和子先生の著書に見つけた自由の定義が、まさに私の言う自由である。以下に引用転載する。「人間の自由とは、諸条件からの自由ではなく、それら諸条件に対して自分のあり方を決める自由なのだ―――私たちには、よりよい生き方を選ぶ自由がある」。
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サラリーマンは自由を手放す代償として、社会的信用や、収入や生活の安定を得る。そんな生き方が必要な時代もあったが、今やそれらの信用や安定が非常に危うい時代であることを、どれだけの人が察知しているだろう?ましてや今般の世界的騒動は、生きることの自由を根こそぎ奪いかねないことに、どれだけの人が気付いているだろう?
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サラリーマンとは、会社勤務者だけのことではない。公務員や政治家、さらには事業家や自営業者の多くもサラリーマン化している。そして、サラリーマンばかりの社会が、この異常な世の中を創り出し、維持しているのだが、それに気付いてサラリーマンを辞める人間は、絶滅危惧種と言えるほど少数である。
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しかし私は、この世界的騒動がきっかけになり、社会の異常さに気付き、自由を求め、自分の可能性に目覚める人間が一人でも増えることに希望を見出し、残る人生の全てをそのために注ごうと決意している。そして、まだまだ微弱ではあるが、新しい時代の鼓動を感じ始めている。自由を求める者たちよ。集おう!つながろう!
自由を求める人生へ
一燈を提げて暗夜を行く
