先日、人工透析を20年以上にわたり受け続けている方が、整体院へ来られた。
主訴は他にあるのだが、腎機能低下や透析と無縁ではないはずだ。
なので、少し調べてみた。
その中で、透析患者数の推移を知って、驚いた。
透析患者は、1968年には、全国でたった215人しかいかなった。
それが、2014年には、32万人を超えているのである。
<出展>一般社団法人 日本透析医学会
http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2015/p003.pdf
50年足らずで、透析患者は、なんと約1,500倍に増加しているのだ。
この数字を異常と感じるのは、私だけであろうか。
透析患者数が爆発的に増加した理由として、一般的には、次のように言われる。
腎不全は、末期に至らないと自覚できない。
1968年頃も、潜在的には、かなりの数の腎不全患者がいた。
しかし当時は、検査技術が未発達であったので、未然に発見できなかった。
また、透析療法も一般に浸透していなかった。
さらに近年はストレス社会ゆえ、腎臓を患う人も増えている。
だから、ここ50年ほどで、透析患者は急増した。
確かに、一理ある。
しかし、1,500倍という数字は、看過すべきでないと私は思う。
いずれにせよ、この数字は「早期発見、早期治療」を徹底させた成果だと思う。
だから、日本透析医学科も、誇らしげに発表するのだろう。
早期発見、早期治療で、命を救われた人がたくさんいることだろう。
しかし、もしかしたら治療せずに済む人を、治療してる可能性はないだろうか。
血液透析の場合なら、頻度は週に3回が標準だそうである。
1回あたりの所要時間は、3~5時間程度だそうだ。
週に3回ということは、ほぼ1日おきである。
往復や、待ち時間なども入れれば、ほぼ半日が潰れる。
経済的な負担も大きいだろう。
何より、一度透析を始めれば、止めることはできない。
死ぬまで、上記のようなペースで続けねばならないという。
生活は、かなり制限を受けるだろう。
寿命は延びるかも知れないが、それが必ずしもよいとは限らない。
上の写真は、ネットで見つけた。
某病院が自サイトに、誇らしげに掲載している透析室の写真である。
この風景を見て、あなたは何を感じるだろうか。
自分がこの病室に横たわるとしたら、どう思うだろうか。
進化する検査法や治療法。
莫大な予算を投じ、人類の叡智を結集して開発される、最新の機器や薬剤。
充実した設備、手厚いサービス。
科学の発達は、素晴らしいことだと思う。
しかし、それが必ずしも人の幸せにつながっているのか、どうか。
そんな問いかけが必要ではないだろうか。
今や、年間40兆円を超える、巨大な産業と化した日本の医療。
医療費の高騰と比例して、年々増え続ける病名と、該当する病人たち。
大勢の人たちが、医療の補助なしに生きていけなくなる社会。
これは、果たしていいことなのか。
健康について、命について、社会について。
生きることについて、死ぬことについて。
私たち一人ひとりが自分の頭で考え、自分の選択に責任を持つべき時期だ。