今から8年前、2008年8月1日。
私は「心身楽々堂」を開業し、整体師としての第一歩を踏み出した。
8年間、本当にいろんなことがあった。
もちろん、よいこともあったが、苦しいこと、辛いことも多かった。
間違いなく、言えること。
それは、そのいずれもが、成長のための有り難い糧であったということだ。
このたび、8年間の集大成として、ある決断をした。
その決断とは、
「事業の主軸を整体法講座に置く」
ということである。
なぜ、そう決断したのか。
開業8周年のこの日に、述べておきたい。
さて、現在、町には多数の病院やクリニックが存在する。
診療科目は、内科、消化器科、循環器科、脳外科、整形外科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、婦人科、小児科、神経内科、精神科、心療内科など、多岐にわたる。
私たちは、これを当たり前としている。
しかし、少し考えると、不自然極まりないことに気が付く。
命は、分断できないからだ。
私の整体院には、上記にあげたようなあらゆる診療科を受診し、「異常がありません」「原因不明です」と言われた方が来院する。
数十年にわたり苦しみ、不治の病と宣告され、絶望している人も少なくない。
このような方を回復させるには、「治療」というアプローチだけでは不十分である。
彼らの多くに必要なのは、「教育」であり、「共育」だと私は思う。
痛みや病気とは何か。
なぜ生じるのか。
どうすれば、よくなるのか。
健康とは、癒しとは。
そもそも命とは、生きるとは。
経験を通じて知り得た事実と真実、その根底にある真理を伝える。
共に考え、共に悩み、共に歩み、共に成長していく。
何よりも、何ものにも縛られず、自由な立場で、最高を目指し、最善を尽くし続ける。
現代社会における、整体師の最も重要な仕事。
それは、人さまに、命の重さ、かけがえのなさ、大切さに気付いていただくことだと考えている。
「教育者」としての、整体師。
「命の学校」としての、整体院。
この8年間で、新たな整体の“あり方”を模索してきた。
そして昨年、自らの整体を「心整体法」と命名し、“心を使って、人間という生命体を整える教えと実践”とした。
しかし、こういった思想は、私が初めてではない。
近代整体の父と言われる野口晴哉先生が、次のような言葉を遺しておられる。
整体操法は今迄の意味での職業ではなく、人間の信念としての行動であらねばなりません。他人の不摂生や不養生の後始末をしてやる事が整体操法ではありません。そういうドブ掃除人のやる事を行うのではなく、それを機に健康に生くる原理を教え、その苦しみや悩みから立ち上がる道を示し、その人達の心に灯りを点け、活き活き歩ましむることが整体操法の為すところでありまして、その為には整体操法を行う人自身が健康の原理を知っているだけでなく、その事を整体操法の立場に於て実践し、活き活き生きておらねばなりません。
また、著書には次のような一節もある。
私は昔、この整体操法を治療法として使っておりました。よく治るという評判で、操法を受けたいという人が非常に多くなりました。しかし、それはみんな治療術として求めてきた人達でした。私も初めの内は、大変おもしろくて、最初の十年位はそのまま治療術として行ない、それが上手になることを目標に、せっせとやりました。ところが次第に上手になり、相手が早くよくなる程、「いざとなれば野口先生の所に行けばいい」とズボラになるばかりか、自分で自分の体を保つことを忘れて、私の所へ来なければ丈夫になれないと思い込んでしまう。豚だって自分の健康を自分で保っているのに、人間だけは何故かと、大変不思議に思いました。そして、こういうことを長く繰り返していたのでは、人はだんだん生きることに不熱心になり、自分の体を人任せにして、他人の力ばかりを頼って生きることになる。しかも、私の周りにいる何百人か何千人かの人だけしか丈夫にならないということになる。それでは困る。誰れもがみんな丈夫にならなくてはならない。それにはどうしたらいいか。私が下手になることだ。私が治療術を使わないことだ。自分が生きている内はみんなから頼られるから早く死ぬより他ないなどと、だんだんそういう考え方になってきて、その挙句、人間はどうすれば丈夫になるのかと考えなおしました。それには、一人一人が自分の生きている力を自覚する。自覚してそれを発揮するように誘導していくことが本当だと気がつきまして、治療術という面を全部捨てたのであります。体力を発揮できるように体を整えてゆく。そうすると自然に丈夫になるし、病気があっても自然に経過してしまうし、お産をする人は痛まずに産める。だからと言って、それを目的とするわけではなく、ただ人間の自然の構造に沿って、その持っている力を発揮するというだけのことであります。だから、生体が、丈夫になり、元気になるということだけに使われるのは本当ではなくて、誰れも元気になり、丈夫になる力を各々が持っているのだから、それを自覚して発揮しようではないか、その筋道として整体があるというように伝えなければならないと考えたのでありますが、近頃はそのように伝えられるようになり、そのように動き出しております。そうしないと、なかなかみんなが丈夫になるという目的は達せられない。
現代人は、調子が悪いと不安になり、すぐ病院へ駆け込む。
医師を盲信し、処方されるままに大量の薬を飲む。
また、健康を守るためにと、定期健康診断を受ける。
ただの数値でしかない検査結果に一喜一憂し、自覚症状がなくとも病院へ通う。
早期発見早期治療が最善と信じ、不要な処置も甘受する。
だから、日本の国民医療費は、年間40兆円にも上るのだ。
医療費の高騰と比例して、人はどんどん自分の健康に責任を持たなくなっていく。
その結果、命がとんでもなく軽い社会になってしまった。
止まらない原発、無くならない米軍基地。
身を汚し、心を滅ぼす毒物や偽物が、生活環境を埋め尽くす。
ついには、戦争の恐ろしさ、愚かさを身をもって知り、二度としないと誓いを立てた国民が、また同じ過ちを繰り返そうとしている。
これらは、すべて同根である。
国民のほぼ全員が洗脳され、依存し、束縛され、経済奴隷として働く。
思考力を奪われ、何の疑いも持たず、組織の歯車や権力の犬として働くことに甘んじる。
命令に服従するためなら、良心も、信念も平気で捨て去る。
私たちは、自ら喜んで愚劣化し、お互いを傷付け合う。
周到に計画された日本人殲滅作戦は、間もなく完遂されることだろう。
野口先生は、きっと、こんな社会の到来を予測していたのではないだろうか。
だからこそ、治療ではない「整体」を提示したに違いない。
しかし、野口先生の意に反し、現代の整体は、”治療色”を濃くする一方である。
“治療家”として優位に立ち、患者扱いし、依存をさせる。
これでは、医師とやっていることに大差がない。
それに、腕のいい治療家はすでにたくさん存在するので、これ以上増やす必要はない。
日本はいまや、崖っぷちに立っているのだ。
しかも、99%以上の人間が、そのことに気付こうともしないという絶望的状況だ。
そんな中、私一人で頑張るのは、あまりに心許ない。
もっと、同志が欲しい。
誰もが安心して、自分らしくあれる社会を取り戻すために。
人間だけでなく、すべての命を尊重する世界を実現するために。
地球や自然に対する、傲慢と冒涜を反省するために。
そのためには、私たち日本人が、本来の日本人らしさを取り戻す必要がある。
難しいことは、言ってない。
一人ひとりが、生き方を変えればいいのだ。
小さな一人革命を起こすことだ。
そのために、本当のことを知り、良心を取り戻すことだ。
信念を持って生きることだ。
愛、感謝、思いやりの実践をすることだ。
そのために、私は、同志となる整体師を育成することに、重点を置く。
同じ地平を目指し、勇気をもって、自分の信念と良心に忠実に生きる、社会のリーダーたり得る人財育成に、全身全霊を傾けることにしたのだ。
しかし、整体師を辞めることはしない。
一生、現役を貫く。
現場に立たないと、人や社会のリアルな状況がわからなくなるからだ。
技術や感覚が鈍り、衰えてしまうからだ。
何よりも、自分が駆け出し整体師であることを自覚しており、追究したいことが山のようにあるからだ。
私は、生涯をかけて、1,000人の整体師を育成する。
そのために、全力を尽くす。
それが、私が、崖っぷちの日本という国に生まれて来た意味なのだろうと思う。
決断を機に、整体法講座のウェブサイトを一新した。
まだ未整備だが、ぜひご覧いただきたい。
8年前、開業当時の私。
頼りない雰囲気が漂っている。
こんな私のもとへ来てくださったお客さまたち。
みなさんの支えがなければ、今日の私はありませんでした。
心から感謝をしています。
本当に、いつもありがとうございます。
私をこの道に誘い、常に導き続けてくださる、故 村松幸彦先生。
常に先生がついてくださっているからこそ、私は信じる道を歩み続けられます。
永遠の師であり、心から尊敬し、感謝をしています。
村松先生のブログが、まだ残っている。
時々読み返しては、先生と対話をし、行く道について考える。
http://blog.dodo-fuji.jp/
決意を新たに、覚悟をもって、いっそう邁進して参ります。
みなさま、何とぞよろしくお願い申し上げます。