昨日は、ピアノ演奏家、津村和泉先生のコンサートへ出かけた。先生は世界的にご活躍されており、本場ロシアのオーケストラと共演し、絶賛されるほどの実力者である。
津村先生と知り合ったのは、約3年前のことだ。Facebookのコメントやメッセージにて、言葉を交わしたのがきっかけだ。その後、一度だけお目にかかっているが、都合がつかず、演奏をお聴きしたことはなかった。なので、昨日は待ちに待った日であった。
今回は、カフェでのコンサートであった。ごく間近で先生の演奏を体感する、またとない機会であった。
約2時間の熱演、心底、感動した。演奏が素晴らしかったと言うだけでは留まらない、人間の力の神々しさを感じた。魂の仕事とでも言おうか、その迫力に、ただただ圧倒され続けた。遠い場所へ連れて行かれるような、夢を見ているような時間でもあった。
至極の境地におられる先生の前では、自分の小ささ、無力さ、未熟さを感じざるを得ない。しかし逆に、私は大きな勇気と希望をいただいたように感じた。違う道を歩み、まったく至らない自分ではあるが、コツコツと技と心を磨き続ければ、先生のような境地に近付けるかも知れない。そう思ったのだ。
先生が、演奏を通じて、お伝えになりたいこと。それは、「生きることの素晴らしさ」であり、「命の力を信じることの大切さ」ではないか。少なくとも私は、それを伝えていただいたと感じている。
さて、素顔の先生は、とても気さくで、お茶目で、愛らしい方だ。写真撮影のお願いも、気軽に応じてくださった。Facebookへの記事投稿も、快く許可してくださった。
なぜこの華奢な身体から、あんなに迫力ある演奏が紡ぎだされるのか。手も小さいし、不思議でならないと伝えると、
「このあたりで弾くんですよ」
と、腰や股関節のあたりを指しておられた。どういうことか、もっと突っ込んで聴きたかったのだが・・・
そんな先生だが、演奏家として開眼したのは、遅かったらしい。ピアニストにならなければ、アフリカでライオンの生態調査員になってたかも知れないとおっしゃっていた。
また、先生は演奏家であると同時に、教室を開き、子どもの指導もされている。その指導法は、独特であるらしい。先生の教室の子どもたちは、最初は伸び悩むが、後になって断然大きく開花するとのことだ。
そんな先生のお話を、ゆっくりお聴きしたいと思い、3月にお招きしようと計画をしている。自分らしい生き方を模索している方、子どもにどう向き合うか悩んでいる方等は、先生のお話を聴き、お姿に触れることで、きっと気付きや学びが得られると思う。改めてご案内するので、楽しみにお待ちいただきたい。
それよりも、ぜひ一人でも多くの方に、津村先生の演奏を聴いていただきたいと思う。私も機会があれば、また聴きたいと思っている。
津村先生、昨日は本当にありがとうございました。