最近、頻繁に目や耳にするアメリカンフットボール反則タックル事件。
加害者と呼ばれる20歳の選手の会見をフルで見て、非常に心に残ったことがある。
それは、彼が記者の質問に対して、
「高校時代は楽しかったが、大学に入ってから楽しめなくなった」
と答えていたことだ。
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この事件は、現代日本の社会を象徴していると感じる。
最優先されるのは、組織の利益と存続。
組織の中で生き残るためには、命令には絶対服従。
個人の尊厳や良心は二の次。
場合によっては、踏みにじられる。
問題が生じた時に葬られるのは、末端の実行担当者。
命令を発した者、伝えた者たちは、責任逃れと保身に徹する…
その構図は、スポーツの世界も社会も同じだ。
そのような中、仕事に夢と希望を持ち、心から楽しんでいる人が、いったいどれだけいるだろうか。
サラリーマンと呼ばれる人の中では、極めて少数だと想像する。
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生活をするためには、組織に属さねばならない。
組織に身を置くには、犠牲や我慢が必要。
不本意なことでも、慣習や命令には従わざるを得ない。
いや、気が向かない仕事、嫌な仕事をこなすからこそ、給料がもらえる。
それを常識としていないか。
考えてみて欲しい。
そんな生き方は、奴隷と同じではないか。
奴隷が悪いとは言わない。
そんな生き方が向く人も、存在するからだ。
でも、もしそうでないなら…
立ち止まって、勇気をもって自分に訊ねてみて欲しい。
本当は何がしたいのか。
どんな生き方をしたいのか。
人生とは、楽しむためにあるのだ。
そこに制限を設けているのは、社会でも企業でも他者でもない。
自分自身であることに、気付いて欲しい。
「自灯明 法灯明」の生き方。
組織や社会の都合を押し付けられたり、その犠牲にならない。
常に、自分と真理を拠り所とする。
より良い社会を実現するためには、私たち大人一人ひとりがそんな生き方を実践することが必要だと私は思う。