【母が与えてくれたもの】
母が他界して、ちょうど三週間が過ぎた。
ついさっきのことのようにも感じるし、もうずいぶん以前のことのようにも感じる。
また、肉体を伴った母は存在しないが、私の中で母はずっと生き続けている。
どうしようもなく辛く、悲しく、寂しく感じる一方で、いつでも対話できるような安心感もある。
ここしばらく、そんな不思議な感覚を味わっている。
〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜
母は、人が大好きで、人に尽くす人だった。
自分のことは後回しにして、人のために何をしてあげようか。
そればかりを考え、常に何かをしていた。
料理を作る、裁縫をする、手紙を書く、歌をうたうなど、大したことはできなかったが、与えること、その行為自体が、母の生きる喜びそのものであったのだと思う。
見返りを求めることなど、微塵もなかった。
〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜
「笑顔しか、見たことない」
生前の母を知る人から、よく言われる言葉だ。
実際にはそんなことはないのだが、残った写真の数々を見返してみると、確かに笑顔の写真が多い。
添付した写真は、4月末に入院した直後に撮影したもの。
医師から厳しい見通しを聞き、心身ともかなり辛かったと思うが、一緒に写真撮ろうと言うと、笑ってくれた。
〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜
私は、この母の胎内で命を結び、この世に誕生させてもらった。
誰よりも、たくさんのものを与えてもらった。
それは、あまりにも大きくて、尊くて、いくら感謝をしてもしきれない。
溢れる想いは、涙となって吹き出す以外に行き場がなく、情けなくも、病床にある母の手を握って泣いてしまったことがあった。
「アホやなあ、もっと強くなりなさい」
とても母らしい言葉だと思った。
その時の、母の優しく温かな手の感触がずっと残っている。
生まれて以来、ずっと感じてきた優しさと温もり…
〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜
母が与えてくれたもの。
それを、私は世のため人のためにどう役立てていくのか。
静かに、そして深く考えている。
おかあさん、本当にありがとう。