先日、母が他界いたしました。
87歳でした。
母は、4月20日に入院。
その後、5月1日に緩和ケア病棟へ転院。
そして、9日早朝、眠ったまま、息を引き取りました。
実に母らしい、静かで、穏やかな最期でした。
何ができるわけでもありませんが、時間の許す限り、そばにおりました。
特に最後の二日間は、病室に泊まり、付き添いました。
ものが食べれず、水さえ飲めず、衰弱しきって、話すことさえ困難。
そんな状態で、母がかろうじて口にした言葉。
それは、
「最高の人生やったわ」
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いろんな気持ちが錯綜し、うまく言葉にならないのですが…
幼い頃、最も恐ろしいことは、母がいなくなることでした。
それが本能的なものなのか、私固有のものなのかはわかりません。
とにかく、私は母が大好きだったし、私にとって、母の存在は非常に大きなものでした。
お恥ずかしい限りですが、それは、還暦近い初老の域に達しても、あまり変わることはありません。
だから、本当に悲しいし、寂しいし、辛いです。
しかし、その一方で、全く違う気持ちが芽生えています。
それは、大きな勇気と希望です。
生前の母が、何よりも望んでいたのは、我が子の幸せでした。
だから、母が亡き今、もっと幸せになろう、もっと力強く生きよう。
この命を輝かせよう。
そして、母のように、いよいよ最期を迎えた時に「最高の人生だった」と口にしよう。
それが、何よりもの供養になると確信しています。
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母の強い意向により、親族だけで見送りました。
素晴らしい葬儀社とご縁をいただき、ピアノと花が大好きだった母らしい、お見送りができました。
関係者の皆さま、本当にありがとうございました。
また、ご心配やお気遣いをいただいた皆さまにも、心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
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写真は、実家の玄関先に植えられているハナミズキです。
つい先日、母が撮影したものです。
この花が咲く頃、母が時々そのメロディを口ずさんでいた曲「ハナミズキ」。
その歌詞を転載しておきます。
空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように
夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように
ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように
君と好きな人が
百年続きますように