「翌朝、痛みがほとんどなかったので、おかしくなって、一人で笑ってしまいました」
だんだん酷くなる股関節の痛みに耐えかねて、先週、初来院されたお客様の言葉。
施術直後は、ほとんど変化がなかった。
しかし、一晩寝た翌朝、痛かったことを忘れるほど痛みが軽減したので、びっくりしたそうだ。
同様のことは、よくあることだ。
施術者は、きっかけを与えるに過ぎない。
あとは、本人の無意識下で働く自己調整、自己修復、自己治癒の力に委ねる。
適切に動き、十分な睡眠を取れば、これらがうんと働いてくれる。
偉大なる先人たちが遺してくれた、智恵と型。
それらを追跡し、復元しながら、その奥にある真実と真理を、お客様の力をお借りして探究する。
それを積み重ねるのが、整体の現場であり、修行だ。
ただし、留意すべきことがある。
それは、先人たちの時代にはほとんど存在しなかったもの。
あるいは、予想しなかったであろうこと。
それが多々あるということだ。
その最たるもの。
それは、誰もが、ギガバイト単位の情報を、手元の端末から大量の電磁波と共に浴び続けていることだ。
その影響が、想像を遥かに上回ることを最近ようやく知った。
それから、もう一つ。
問題の解決が、個人のレベルでは済まなくなって来ているということ。
先人たちもある程度の予想はしていただろうが、おそらく現代日本人の堕落ぶりは、想像を遥かに超えているだろう。
本当に、もう待った無しなのだ。
だからだろうか、私の師は事業に「公共性」と「教育性」を加える必要性を強く訴えた。
当時はよくわからなかったが、今となっては、本当によくわかる。
痛みや不調の解決を他人任せにせず、それをきっかけに自分の生き方に向き合い、命の真実と真理を学ぶこと。
それを通して、自分に授けられた命の尊さ、豊かさに気付くこと。
自分には「力」があり、「可能性」に満ち満ちている事実を知ること。
それを支えるのが、私が考える整体という営みであり、それを生業とするのが、私が考える整体師である。
まだ蕾にもなってないから、ほとんど目を向けられることも無いが、諦めずに伝え続けようと思う。