たかがマスク、されどマスク

社会について

ご存知ない方も多いのですが、整体師には公的な「資格」はありません。漫才師や手品師と同じ、単なる呼称です。だから、社会的地位や信用はありませんし、守ってくれる公的制度や支援もありません。その代わり、自由です。管轄省庁や所属団体に忖度する必要もなく、自分の責任において、自分の良心と信念に基づき、発言や行動ができます。

さて現在、ほぼ100%の人が、マスクを着用して外出しています。しかし、私は強制されない限りは、マスクは着用しません。なぜなら健常者のマスク常用は、“百害あって一利なし”と確信しているからです。後ろ指をさされようが、お客さまの数が激減しようが、私はただただ、自分が正しいと思うことを行動で示すのみです。

一般人が入手できるマスクに、ウィルス暴露や拡散を防止する機能がほぼないことは、もはや明白です。むしろ、呼吸を抑制したり、マスクに含まれた化学物質や雑菌を常時吸引することにより、身体の機能を低下させる恐れがあります。また1時間に1度は取り替える等、運用を慎重にしない限り、かえってウィルス拡散を促進します。

さらに申せば、1年以上が経過し、新型コロナウィルスなるものが、政府やマスコミが大騒ぎするほど怖いものではないことが明らかになってきました。エボラ出血熱に匹敵する恐ろしいウィルスであれば、感染を防ぐには完全防護服が必要であり、何重にマスクをしようが防げないことは、子どもでもわかることです。それに、Go to 〜など脳天気な施策はあり得ないでしょう。

何よりも懸念するのは、マスク常用は「超監視社会」への大きな布石だということです。マスクは「口をふさぎ、声を出さないこと」「人間らしさを放棄すること」、つまり奴隷の象徴だと感じます。特に日本は今のところ、法的規制も罰金もありません。にも関わらず、100%近い人間がマスクを常用しているのは「私たちは奴隷です」と宣言しているに等しいと感じます。

出典は未確認ですが、実際、中世においては、奴隷にマスクを常用させていたそうです。その意味は、奴隷は「道具」ゆえ●感情があってはいけない、●お互いの表情が見えてはいけない、●距離をおいてお互いに話し合ってはいけない、●深く考えてはいけない(だから脳を弱らせる)、●必要以上の力を持ってはいけない(だから心臓を弱らせる)からだそうです。

さすがに異常さに気付き、是正が必要と考える人も増えて来ています。子どもたちへの影響も心配です。しかし、マスク常用人口は増すばかりです。なぜそうなるのでしょうか。それは、多くの人が批判や非難をするばかりで、「働き方」と「生き方」を変えないからです。自己保身のために、言い訳をして、居心地の良い現状に甘んじ続けるからです。つまり行動が伴わない。

現代社会は、ごくごく少数の支配者に対して巨大な利益をもたらすために動いています。そして、現代社会における組織のほとんどは、その動きの中に組み込まれています。だから、組織に所属する者は矛盾や理不尽さを感じても、組織や上位者に忖度をし、“マナー”や“思いやり”と言い訳をしながらマスクを着用する。行動が伴わない、だから、社会も変わらない。

早く収束して欲しい。誰もがそう願っています。しかし、待っていても収束はしません。このままでは、ますます制限や束縛が強くなるのは、間違いないでしょう。それを避けたいなら、自ら自由になることです。自分の責任において、行動することです。その第一歩がマスクを外すこと。たかがマスク、されどマスク。あなたの勇気と決断と行動が、社会を変えるのです。

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