武道から武術へ、そして整体へ

仕事について

私は幼い頃から闘うこと、争うこと、競うことが嫌いだった。身体を動かすのは好きなのだが、スポーツは苦手だった。そんな自分を「情けない」と恥じたし、コンプレックスを持っていた。学校へ行き出してからは、よく「男のくせに……」と揶揄され、いじめられたり、仲間外れにされることも多々あった。

いじめられるのは嫌だし、男である以上わずかながらも闘争本能があるらしく、常に「強くありたい」という願望があった。日本文化に対する憧れもあり、柔道、剣道、空手道などの武道をたしなもうと試みた時期もある。しかし、いずれも勝ち負けを競う競技スポーツであるせいか、全く続かなかった。

そんな私が唯一やってみたい!と思ったのが、合氣道であった。当時はインターネットもなかったし、何で見たのか記憶がないのだが、他の武道とは全く異なる静かさ、美しさ、強さを感じた。しかし、どうやって道場を探していいかわからず、他に熱中すること(吹奏楽)が出現したため、そのうち合氣道は自分の中から消えていった。

私が合氣道にご縁をいただき稽古を開始したのは、30歳を超えてからである。たまたま見かけた無料地域情報誌に、すぐ近くにある道場が入門者募集の小さな広告を出していたのが目にとまったのである。さっそく見学に行き、先生(師範)と話をして、その場で入門を決意した。

しかし、最初の数年はかなり苦労した。身体を動かすことから10年以上離れていたし、西洋式の運動とは異なる身体操作が必要だったからだと思う。受け身が下手で身体中あざだらけになった。何度もやめようと思ったが、何かの本で「箸が持てれば、誰でも合氣道はできる」と書いてあったこと、師範から「続ければ必ずできる」と言われたのが心の支えとなり、なんとか継続した。

5年かけて、やっと初段を認めていただいた。黒帯を締め、袴をはくと、俄然やる気になった。その数年後に三段の印可をいただいた頃、合氣道のルーツになった古武術に興味がわき、書籍や動画で術理や身体操作法を研究すると同時に、大東流合氣柔術の道場へ入門して稽古を開始した。多い時期は、週に3〜4日稽古に通っていた。

当時、私は会社勤務に心底嫌気がさし、うつ症状で苦しみ、毎日「死にたい」「消えたい」と思いながら過ごしていた。武道と武術の稽古は、精神的に極限まで追い詰められていた私の大きな支えとなっていた。それと同時に、日本の伝統武術の極意であり、心身の健康を守るための大きな鍵である「ゆる」という概念に出会ったことは、その後の人生を大きく変えた。

私は、整体には全く興味も関心もなかったが、合氣道でいただいたご縁によって、現在の「ゆるめる整体」に出会ったのは、運命的な出来事だったと思う。この出会いにより、私は絶対無理と固く信じていた脱サラを断行し、長年の願いであった「自分らしく、自立して、自由に生きる」こと実現に向けて歩み出すことができた。

以上のような経緯から明らかなように、私がいま実践提唱する整体の基盤になっているのは、合氣道であると思う。合氣道開祖である植芝盛平翁には手ほどきはもちろん、お会いしたことすらない。だが整体修行のおかげか、難解とされる翁の口伝が少しずつ理解できるようになってきた。翁は、社会情勢と時代の変化を鋭敏に感じ取っていたゆえ、世界和合の道として合氣道を創始したのだと改めて思う。

合氣道は現代武道であるが、日本人が遺伝子レベルで内在させている精神性と身体感覚の結晶であると私は感じている。合氣道に出会い、そこからたどって自分の生きる道を見つけたのは、本当に幸いであったと思う。私は、闘うことや争うことを嫌う弱い人間かもしれないが、弱いままで強く生きればいいと心から思えるからだ。

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“心を使って人間という生命体を整える”、癒しの人間学「心整体法」の入門書。整体に興味がある方はもちろんのこと、生き方や働き方に迷いや悩みがある方に、ぜひお読みいただきたい整体読本です。もちろん、何をやっても治らない、頭痛、めまい、動悸、過呼吸、不眠、慢性疲労、自律神経失調症、起立性調節障害、不安障害、パニック発作、うつなど、原因不明の不快症状や心の病で苦しんでおり、わらにもすがりたい気持ちで、改善の道を探しておられる方にも、きっとお役に立てる内容だと思います。
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