先月の集中内観にて、転迷開悟という言葉を知った。
迷いを転じて、悟りを開く。
内観の目的は、これに尽きるそうだ。
現代社会では「治る=善」とする考えが圧倒的大多数だ。
医療はもちろん、代替療法や自然療法も、整体などの手技療法も、大半はこの考えに基づく。
従事する者も、利用する人々も、「治る」ことを目的とし、そのための手段を血眼になって追い求める。
しかし、私は少し違う考えを持つ。
「治る」のは、一つの結果であり、過程に過ぎない。
少なくとも、決して目的とはしない。
整体の目的は、内観と同じ「転迷開悟」なのである。
悟りを開くというと難しく感じるが、決してそうではない。
簡単に言えば、
「今を幸せに生きる」
ということだ。
迷う=苦しむということ。
人生は、困難や辛苦に満ち満ちている。
極論を申せば、それが「生きる」ということなのだ。
しかし、人は苦しむために生まれてきたのではない。
楽しむため、幸せに生きるために、人は生まれてくるのだ。
経験を重ねる中で、転迷開悟すること。
そこに、生きる真の醍醐味があると私は考えている。
そんな整体を、伝えたい。
「治る=善」の社会では、関心を持つ人、理解をする人は極めてまれであり、不器用で下手なやり方だと思う。
しかし、それが私の幸せな道であり、きっと与えられた役割なのだと思う。