【「父親力」を取り戻そう】
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書くのも嫌になるが、少なくとも私の生活圏内における町の光景は、相変わらずほぼ全員がマスクで顔面を隠すという異様な様相を呈している。マスクをしようがしまいが、個人の自由なのでどうでもいい。しかし、いくら政府やマスコミが扇動しようが、2〜3割の人間はマスクの無意味さや有害さを理解してると思うので、マスクをしない人間をもう少し見かけてもいいと思うのだが、なぜかくも異様な光景が続くのか。
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そのような中、先日、ひさしぶりに長男(28歳)と食事をした。私から彼に対してコロナやマスク、あるいはワクチンに関し、説教や入れ知恵をしたことは一度もないが、彼は私と同じくどこへ行くのもマスクは着用しないし、現代社会に起こっている異常さをSNSで指摘したりもしている。なぜそのような超少数派とも言える立場をとるのか、彼に尋ねてみた。
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彼が言うには「よくわからないが、少なからず親父(つまり私)の生き方に影響を受けていると思う」ということであった。それがいいかどうかは別として、改めて「父親の役割」について考えてみた。そして、現在の異常事態がおさまらない大きな原因の一つに、日本人の「父親力」が減衰してしまったことがあるという考えに至った。
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添付写真の「父親力」という本は、私が2002年に買い求めたものである。当時、私は生き方と働き方に悩み、苦しみ、ついにはうつになり、父親としてはもちろん、男として、人間として、生きる自信をまったく喪失していた。そのような中、何かヒントが欲しいと切望し、手に入れた本である。
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ただ当時は、本も読めないくらい精神的に衰弱しきっていたため、結局は読まずじまいで、本棚に眠ったままであった。そして、先日その存在に気付き、約20年ぶりに引っ張り出して読んでいるのだが、「父親力」についてなるほどと思う一節があったので、以下に引用転載する。
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“(父親は、母親とは異なり)ショックを感ずる危機をはらみつつも、子どもを外の世界へ導き、かつ適度のストレスによって「生の欲求」が健全にパワーを発揮できる方向性を与えなくてはならない。やみくもに子どもをストレスから回避させることは、問題の解決に何一つ貢献しない。ストレスを克服する中で、人は社会化の次のステップに進むのだ。困難に自力で立ち向かうことのできる存在へと発達するために、「同行二人」のような形で、子どもを見守り、必要に応じて手をさしのべ、前方へふみだす手助けをしてやるのが、父性の最大の任務だといえるだろう”
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要は、「父性」とは「必要だと考えることは、摩擦を恐れず、リスクを厭わず、断固として実行する」ことから生じる性質ではないだろうか。そして、それを自らの生き様を通して表現し、子どもたち(もしくは若い世代)に伝承し、彼らの生きる力を引き出し、成長を助けることが「父親力」の発揮ではないだろうか。
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それに対して「協調性を重んじ、皆で力を合わせて行動する」というのは、どちらかというと「母性」の領域である。そして、命を守り、種を守るためには「父性」と「母性」の両方が必要である。そして、男女限らず両面を備えていると思うのだが、現代社会は「母性」偏重の傾向がどんどん強まり、「父性」が風前の灯火のごとく衰弱しているのではないか。
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つまり、マスク100%の光景も、ワクチン接種の加速も、何よりも終わることがないコロナ禍は、父性の欠如が大きな原因になっているというのが私の見解である。さぁ、世の大人たちよ。現状の100%マスク社会に異常性を感じるならば、子どもたちのマスク着用に心が痛むなら、そしてワクチン強制接種に反意があるなら、今こそ男女限らず「父親力」を取り戻そうではないか。
「父親力」を取り戻そう
艱難汝を玉にす
