最近、次のような症状を訴える小中高生の相談、来院が増えている。
朝、起きれない。
起きてもめまいや頭痛が酷く、立ってられない。
倦怠感、疲労感があり、勉強や授業に集中できない。
歩行中や運動中に、激しい動悸やめまいで倒れることもある。
午後から夕方にかけて、徐々に復調する。
夜は目がさえて、寝付けない。
遅刻や早退が増え、そのうち登校できなくなる。
それが、数ヶ月に及ぶことも少なくない。
彼らは、そのような不定愁訴で悩む。
本人はもちろんのこと、親御さんの心配やご苦労も半端ではない。
起立性調節障害、医療的にはそのように呼ぶそうである。
英語で表記すると、Orthostatic Dysregulation 、略してODと呼ぶ。
本日は、この件に関連して、思うことを記しておきたい。
起立性調節障害の歴史
この症状が病変として医療的処置の対象にされ始めたのは、10年ほど前からだそうである。
それよりもっと以前、約30年前から同様の症状が散見されていたようであるが、“患者”が増加し、より本格的な研究や取り組みが始まったのが、約10年前ということであろう。
その頃から専門医が登場し、OD専門クリニックが出現し始めた。
専門医が執筆した書籍も、出版されている。
彼らに救われた子どもも多いのだろうが、実はそうではない子どもも存在する。
つまり、専門医の検査や診断、治療によって、症状が長引いたり、悪化している場合が少なからずあることは、私が整体の現場で知った厳然たる事実である。
心身楽々堂の事例
そんな子ども(中学二年生男子)の一人、当院のお客さま(お母さま)が、体験談を投稿くださり、ホームページへの掲載を許可してくださった。
ぜひご一読願いたい。
> 大阪市北区 Hくん(10代男性/中学生)
この子の場合、最初、ある総合病院に通院を開始し、入院しながらさまざまな検査を受けたが、原因は特定されなかった。
その後、別の病院にて「起立性調節障害」と診断された。
昇圧剤と漢方薬を処方され、服用を続けたが、まったく改善されなかった。
近くにあったOD専門クリニックに行き、やはり「起立性調節障害」と診断された。
しかし、そこの医師からは「3年くらいの長期スパンで治していこう」と言われたそうである。
この時、発症より約4ヵ月が経過していた。
その後、この子は当院に通い出し、約4ヵ月で劇的に改善している。
もし、症状が出始めた頃に、当院の存在を知っていれば、複数の病院やクリニックを転々としている間に、完治はしないまでも、少なくとも希望が持てる状態にはなったと思う。
見過ごしてはならない問題
もちろん、中には精密な検査や投薬が必要な場合もあると思う。
しかし、そうでない場合も少なくないという事実に、医師たちは気付くべきであろう。
子どもに対し、複雑な検査をいくつも施し、その間は何の手も打たない。
それだけでも、大きなミスである。
さらに検査の結果、無意味な投薬をし、さらに症状を長引かせる。
何よりも許せないと感じるのは、「3年くらいの長期スパンで治していこう」という宣告である。
3年も、我慢しろというのか。
二度と戻らない大切な青春の時期、学校生活を何と考えているのか。
親子がどんな気持ちになるか、考えたことはあるのか。
この医師に、尋ねてみたいところである。
専門クリニックの実態
なお、このOD専門クリニックには、全国から人が訪れるそうである。
一年間で、約800人の新規来院者があるそうだ。
先日、あるOD専門の医師が執筆している書籍を取り寄せ、読んでみた。
上記の写真が、それである。
「起立性調節障害の子どもの正しい理解と対応」
読み進める中で、疑問が多々わいた。
これが、本当に「正しい理解と対応」なのだろうか。
たとえば、この本によると、起立性調節障害診断アルゴリズムなるものがあり、その過程でさまざまな検査をするそうである。
著者である医師が、自らのクリニックで実施している検査法の動画を公開している。
ご覧になって、どうお感じになるだろうか。
不調を抱える子どもがこのような検査を受け続けたら、どのような気持ちになるか、想像してみて欲しい。
最新の検査の結果、起立性調節障害と診断されたら、どうだろうか。
その上で、数ヶ月間、治療を受けても改善の兆しがまったく見えなかったら、どう思うだろうか。
3年がかりで治そうと言われたら、どう感じるだろうか。
子どもを守るために
起立性調節障害の3大原因は、次の三つである。
1)自律神経失調
2)副腎疲労
3)腸機能低下
この著書では、1)には言及しているが、2)、3)については触れていない。
この三つに筋肉の慢性疲労が大きく関わっていることについても、もちろん触れられていない。
この医師は、筋肉の慢性疲労があらゆる疾患の原因になっていることをご存じなのか。
もし知らないとしたら、勉強不足、つまり怠慢である。
もし知っているとしたら、なぜ、それに対する処置を治療に取り入れないのか。
いずれにせよ、この医師が正しい理解と対応をしているとは、思えない。
言い過ぎかも知れないが、小さなものを、検査や診断でわざわざ大きく育てている。
私は、そのように思えてならない。
つまり、適切な対処をすればわずか数ヶ月でよくなるものを、数年に長引かせている。
そんな場合が少なからず存在するのが事実だ。
この事実に、医師たちは真摯に、かつ謙虚に向き合うべきであろうと思う。
私が、起立性調節障害について強く言及するのは、対象が子どもだからだ。
彼らは、自分で判断ができない。
大半の場合、親、医師、教師の選択や指導に従う以外にないからである。
それから、起立性調節障害は、命に関わる症状ではない。
しかし、時間は命そのものである。
学校で過ごす楽しい青春時代の時間は、二度と戻って来ないのである。
それを軽く考えては断じてならない。
だから、命に真摯に向き合う職に就く者は、常に謙虚であるべきだと私は思う。
命の深遠さ、精緻さ、複雑さ、崇高さを知るべきだ。
人生のかけがえのなさに、敬虔であるべきだ。
だからこそ、時にはこれまで積み上げたものを崩してでも、学び続けねばならない。
謙虚さを喪失した医療人に伝えたいこと
繰り返しになるが、医師たちは、起立性調節障害に関し、専門クリニックへ通って治らなかった症状が、整体によって、特別な検査や治療もせず、短期間に改善した例がいくつもある事実を知るべきだと思う。
自分たちが何をやっているのか、振り返ってみるべきであると思う。
他に方法はないのか、全方位にアンテナを張り、常に探し続けるべきだと思う。
何よりも、人としてのまともな心を持つべきであると思う。
しかし、残念ながら医師たちは、無資格者の整体師など相手にしない。
彼らにとって手技療法など、エビデンスのないアヤシク、イカガワシイ最たるものだろう。
おそらく、存在自体を無視しているだろう。
なぜなら、彼らは自分たちが学んだ医学がすべてであり、最新鋭の機器で検査し、科学の粋を極めた薬物やメソッドで治療をするのが、最高峰だと固く信じているからだ。
人間を切り刻み、分析するのが、最善の解決策につながると微塵も疑っていないからだ。
それに大半の人たちは、医師を崇拝し、依存する。
だから、医療費が年々高騰する傾向は、今後もずっと続くであろう。
治らずに苦しむ人も、増える一方だろう。
そのような中、自分だけは謙虚さを忘れないでおこうと思う。
決めつけをせず、自分の考えは推察や仮説の範疇に過ぎないことを知り、一人ひとりと真剣に向き合い、日々、学んでいこうと思う。
報われずとも、自分の信じる道を歩んでいこうと思う。