昨日、心身楽々堂は仕事納めをした。
今年も、たくさんの方がご来院くださり、共に時間を過ごさせていただいた。ご縁をいただけたこと、そして整体を通じて共に成長させていただけたこと、心から感謝する次第である。本当に、ありがとうございました。
「整体は教育であり、共育である」
それが、私の一貫した主張であり、提案であり、実践である。末期的な様相を呈す現代社会において、一人くらいこのような突拍子もないことを言う者がいてもよいだろう。
なぜこのような主張をするのか、以下に述べてみたい。
まず、現代社会においては、真実や真理が、巧みに隠蔽されている。それが、身体的、社会的な病理の根源だと言っても過言ではないと私は思う。
なぜ、年間医療費が40兆円にも登るのか。
なぜ、病人が減らないのか。
なぜ、難治性疾患や精神疾患が増えているのか。
なぜ、年間3万人もの人が自殺するのか。
なぜ、いくら真面目に働いても報われないのか。
なぜ、いじめや不登校がなくならないのか。
真実を知り、真理を理解すれば、その理由や解決策が見えてくる。生きる勇気と希望がわいてきて、どう生きればよいかがわかってくる。内発的な気付きと行動こそ、何よりも大切だ。
だから、整体師はまず自らが真実を知り、真理を理解すべく学び続ける必要がある。そして、その伝え手となることである。これが、整体は教育であると主張する所以である。
次に、患者と治療家という関係を固持すると、依存を生みかねない。依存が悪いわけではないが、自律と自立こそ健康の根幹であるとするなら、この関係を超えねばならない。
私は、お客さまとは、学び合い、育て合う関係でありたいと思う。こちらが一方的に何かを伝えたり、施すだけでなく、相互のやり取りの中で、お互いが学び、成長していく関係でありたいと願うのだ。
なぜなら、それが誰であれ、人は唯一無二の存在であり、いま生じている痛みや症状も、唯一無二のものだからだ。何よりも、痛みや症状は結果であり、命の知らせであるからだ。
だから、真に大切なのは、単に痛みや症状を鎮静させることではない。大切なのは、何かに気付き、学ぶことである。つまり、これまでの生き方や考え方を振り返り、改め、それにより人として成長することが、人生における痛みや症状の意義であると私は考えている。
そして、それをお伝えし、導くのが私たち整体師の役割である。同時に、私たち自身も、その経験を通じて、学び、成長をさせていただくのである。
もっとも学ぶべきは、命の有り難さ、尊さ、豊かさである。いかに自分が恵まれているか、可能性に満ちているか、それに気付くことである。
痛みや症状は、その過程で、必要が無くなれば、自然に消滅していくものである。繰り返しになるが、何よりも大切なのは、本人の気付きと成長である。
以上が、私が「整体は教育であり、共育である」と主張する所以である。
きっと、大半の方にはご理解いただけないだろう。ほとんどの人は、一刻も早く、痛みや症状を鎮静させてくれるのが、よい整体師とお考えであろう。私のような面倒なことを言う整体師は、間違いなく敬遠される。
しかし、本当にありがいことだが、こんな偏屈な私のもとへ通い続けてくださるお客さまもおられるのだ。おかげさまで、今年は整体院の業績は、大幅に伸びた。
また、このような私に教えを乞いに来る者も、非常に数は少ないながら、存在する。彼らは距離、時間、費用をものともせず、遠方からでも、毎月学びに来る。
これらは、まだまだ少数派ながら、よりよい生き方を求める人が増えている兆候ではないか。もしそうだとしたら、本当に嬉しいことである。
だから、これからも、私は自分の信ずる道を歩み続ける。それが、自分に与えられた使命だからである。何よりも、そうやって自分らしく生きることが、幸せだからである。
「古人曰く、径寸十枚、これ国宝に非ず。一隅を照らす、これ則わち国宝なり」
一隅を照らすとは、社会における立場や分野において、なくてはならぬ人になることである。己の信念と良心に基づく、誠心誠意の仕事を通じ、人に尽くし、社会に貢献することである。
「一灯照隅、万灯照国」
これは、安岡正篤師の言葉である。この道へ入った時からの、私の座右の銘である。
一人ひとりは、小さな灯火でしかない。しかし、一人ひとりが一隅を照らす生き方をすれば、社会は必ずよい方へ向かう。今年は、その確信を強めた次第である。
冒頭の写真だが、この年末、整体法講座門下生である安保 曜先生が、このような色紙をプレゼントしてくれた。彼の伯父さんが書家であり、頼んで書いてもらったそうである。さっそく整体院の目指すところに飾らせていただき、常に眺めることにしている。
いま、来年に向けて、かつてないほどワクワクした気持ちでいる。改めてご紹介をするが、新しい学びを二つ始めることもあり、来年は大きな飛躍の年となることは間違いない。
より明るく、一隅を照らしたい。そして、一人でも多く、一隅を照らせる人財を育てたい。