整体院へ、息子たちと同年代の青年が通ってくれている。
不調があるというわけではなく、メンテナンスのために、数ヶ月に1回、整体と整腸、両方の施術を受けに来てくれている。
大学4回生の彼は、卒業を控え、就職がすでに決まっている。
手堅い公務員で、親も喜んでくれているそうだ。
しかし、彼には迷いがある。
どうしてもやりたいことがあるようなのだ。
彼は、外国へ行き、いろんな国の文化や人に触れ、見識を広げたいと言う。
このような仕事がしたいという、明確なヴィジョンはない。
ただ、どうしても行ってみたいという、抑えられない衝動があるそうだ。
素晴らしい!
「やりたいことをやりなさい」
親でもないのに恐縮だが、私は彼にそう告げた。
恐れてはいけない、怯んではいけない。
まだ若いのだ。
理由がわからない衝動で突っ走っても、いいじゃないか。
それで、失敗してもいいじゃないか。
男は、夢を見る生き物だ。
志を持ち、実現できそうもない、高い理想を掲げるのが男だ。
無謀と止められようが、馬鹿と罵られようが、信念を貫くのが男の生き方だ。
傷ついても、倒れても、立ち上がり、断固として自分の決めた道を進む。
そうやって成長していくのが、男だ。
男が男でなくなると、その種は弱る。
そして、やがて絶滅する。
人類、特に日本人は、まさにその危機に瀕していると感じる。
戦後の愚劣化教育が劇的に効を奏し、現代日本の中高年は、男らしい男が稀有になった。
無難で小さな幸せで満足し、大きな夢は見ようともしない。
危険を冒さず、居心地のよい安全圏に留まる。
言い訳ばかりを述べ、行動しないことを他のせいにする。
思いやり、愛、義理人情よりも、金稼ぎと名声維持のためには、すべて踏みにじる。
お金が最優先価値基準であり、お金のためには命の冒涜すら平気だ。
自分のこと、目先のことしか考えず、地球環境や将来のことなどは、知ったことではない。
政治家、企業のトップ、そしてサラリーマン。
はては起業家や自営業者の多くも、そんな男ばかりになってしまった。
そんな絶望的状況でも、私は知ったことではない。
大きな夢を見て、高い理想を掲げて、それに向かって邁進するだけだ。
同じ地平を目指す同志と手を携え、若者を応援するだけだ。
地球や自然に対する、傲慢と冒涜を反省するために。
人間だけでなく、すべての命を尊重する世界を取り戻すために。
誰もが安心して、自分らしくあれる社会を実現するために。
いま、自分にできることをする。
簡単なことだ。
恐れることも、怯むこともない。