9年前、2008年11月23日。
私は、生まれて初めて自分の看板を掲げた。
当時、47歳。
人生の半分を、サラリーマンとして過ごした。
勤務していたのは、従業員数万人、年商1兆円を超える大手一流企業。
24年間、身を置いたそこを飛び出し、大企業の看板を外す。
しかも、未知の業界、未経験の仕事、初めての自営。
慎重で臆病な私としては、大胆かつ無謀過ぎる決断と行動だった。
何もない、ゼロからの出発。
不安で不安で仕方がなかったが、それを打ち消す想いに燃えていた。
居心地のいい、大企業勤務。
無難に過ごせば、そこそこの処遇が受けられる。
下手をしない限り、クビにはならない。
大きなプロジェクトを完遂すれば、大いに評価される。
責任あるポストを与えられれば、まあまあの収入が与えられる。
しかし、そのいずれも、私が望むものではなかった。
いずれにせよ、会社の看板が無くなった時、自分に何ができる?
定年後に、何が残る?
それを考えると、気が狂いそうになるほど不安になった。
行き帰りの通勤ラッシュ。
生気を失った大勢の人間が、電車にぎゅうぎゅう詰めにされる。
どう見ても、異常としか思えなかった。
大声で、もう嫌だ!!と叫びたくなる。
しかし、仕方がない、これ以外に道はない。
みんなやっているんだ、同じなんだと自分をなだめる。
ブレーキを踏みながら、アクセルをふかす毎日。
生きるってどういうことだ?
命って何だ?
そこそこで折り合いをつけるのが、人生なのか?
時間は、命そのものだ。
もう半分も残っていないであろう、自分の命。
いつまで無駄使いするのか。
自分を誤魔化さず、自分に嘘をつかず、自分に言い訳をしない。
ひたすら自分に正直に生きる。
心から信じることに全身全霊を傾け、自分の限界を超え、成長し続けることで人と社会に貢献する。
自分は、そんな人生、望むべきもないのか。
そんなことはない、絶対に自分にもできるはずだ。
いや、必ずやってみせる。
その一心で、大胆かつ無謀な決断をした。
しかし、道は想像を遥かに超えて険しかった。
もうダメだ、これで終わりだと思ったことは、二度や三度では済まない。
よく9年も続けられたと、つくづく思う。
多くのものを失い、たくさんの人が離れて行った。
その一方で、それを超える多くのものを得て、たくさんの人に支えられ、助けてもらった。
ただただ、感謝するばかりだ。
今朝、見上げた看板。
朽ちてかなりボロボロだが、私には輝いて見えた。
そう、未来は明るい。
無限とも言える、命の可能性に挑戦し続ける。
その道は、まだ始まったばかりだ。
初心に戻り、自分の歩むべき道を、今一度、確かめる。
今日は、そんな日となった。