今から5〜6年前でしょうか。
Facebook上で、サラリーマン時代、とてもお世話になった上司を見つけました。
嬉しくなって、友だちリクエストをしました。
もちろんメッセージを送り、
「自由業を満喫しています」
と伝えました。
すると、その上司から、
「自由業という業は無いと思い、自営業、サービス業のプロを目指して下さい」
と返信が来ました。
少し残念に思いましたが、それ以上のやり取りはしませんでした。
私があえて「自由業」とした意味。
それは、文字通り“自らに由る業”ということです。
つまり、自分が起点となり、自分が心からやりたいこと、心から価値あると思うこと、心から信じることを生業とすること。
それを、私は「自由業」と表現しました。
現代を生きる大半の人が、あらかじめ用意された枠組みや仕組みの中で、一つの部品や歯車として働くことを選択します。
今まではそれでよかったし、逆に、だからこそ、一見、とても豊かな社会が出来上がった。
しかし、豊かさの陰にあるもの。
それを見落としてはならないと、私は強く感じています。
その一つが、医療や健康に関することです。
なぜ、42兆円もの膨大な医療費を費やしながら、病人や寝たきりの老人が減らないのか。
なぜ、年間3万人(実際は10〜15万人)もの人が、自ら命を絶つのか。
なぜ、15〜34歳の若者の死因第一位が自殺なのか。
なぜ、これだけ便利で豊かな社会なのに、幸せを感じる人が少ないのか。
なぜ、原因不明の体調不良で不登校になる子どもが増えているのか。
これらの“陰”を光、つまり希望に変えること。
それは、用意された枠組みや仕組みの中ではできない。
なぜなら、既存の枠組みや仕組みは、陰を生み出すために、意図的に創られたものだからです。
だから、大勢の人が部品や歯車のままでは、陰は広がるばかりです。
私は、そこに強い危機感を持っています。
この社会の延長に、未来はない。
私たちの子どもたちの、子どもたちの、子どもたちが暮らす社会。
それを想像すると、ぞっとします。
だから、私は束縛や制限を受けない“自由業”を選択しました。
その代わり、守ってくれるものは何もない、頼れるのは自分だけ。
非常に厳しい生き方です。
しかし、だからこそ、自分の命の力が覚醒するとも感じています。
「一灯照隅、万灯照国」
私が創業以来、ずっと座右の銘としてきたことです。
一人ひとりが、宿命の存在を知り、使命に気付くこと。
自分に嘘をつかず、心のままに生きること。
そうやって、一所懸命に、自分の命を精一杯輝かせて生きること。
それが、やがては調和のとれた、真に豊かで平和な社会につながると信じています。
自分らしく、自立して、自由に生きる。
そのように生きる仲間を増やすために、整体塾を主宰しています。
地球や自然に対する、傲慢と冒涜を反省するために。
人間だけでなく、すべての命を尊重する世界を取り戻すために。
誰もが安心して、自分らしくあれる社会を実現するために。