愛する―――
よく使う言葉ですが、その一方で漠然とした言葉でもあります。
愛するとは、どういうことか。
私なりに、ずっと考えて続けております。
最近は、次のように考えております。
「愛するとは、信頼し、尊重すること」
信頼とは、条件付けをしないこと。
相手の持つ良心、成長の欲求、感謝の心、思いやりの気持ち。
その存在と発露を信じ、委ね、任せること。
尊重とは、文字通り、尊び、重んじること。
どのような主義主張、意見も、その人が心底正しいと思うなら、それを受け入れること。
それが誰であれ、何であれ、唯一無二の存在であることを知ること。
武道稽古においては、敵をも愛せと教えられました。
合氣道開祖である植芝盛平翁先生は、「合氣とは愛なり」と喝破されました。
愛を単なる言葉だけでなく、心身の営みとして、日常において体現すること。
そこに、日本武道の真髄があるように思います。
殺伐とした話ばかりが聞こえてくる現代社会において、私たち一人ひとりが、日常において、愛するとはどういうことかを深く考え、実践することが、本当に大切だと思います。
おそらくは、開祖はこのような時代を見越し、合氣道を世界平和への道と位置付けられたのではないかと拝察をいたします。
私はいま、「整体は愛である」と考えております
これについては、考察を深めた上で、改めて詳述してみたいと思います。
<今日の写真>
セドナにおける、私のいちばんのお気に入りスポット「シャーマンケイブ」からの眺望。
大自然の中に身を置くと、母なる地球からの大きな愛を感じずにはおれません。