多くの人が悩む、慢性疾患、難治性疾患、精神疾患。
これらは、散らかって汚れた部屋に似ている。
ものが散乱し、あるべき場所にない。
不要なものが堆積している。
その結果、部屋が正常に機能していない。
過ごしにくいし、不快で仕方がない。
何とか部屋をきれいにしたい。
現代日本における、一般的な医師の役割。
それは、散乱しているものを全て収納庫に押し込み、見えなくすることである。
一見、部屋はきれいになるであろう。
しかし、あくまでも一時しのぎに過ぎない。
そのままでは、また同じように散らかるだろう。
そして、やがて収納庫は満杯になる。
入りきらなくなったものが溢れ出し、さらなる惨状を招くだろう。
それに対し、治療家の役割は、散乱しているものを整理整頓しながら片付けることである。
不要物は廃棄し、あるべきものをあるべき場所に収納する。
部屋はきれいに、かつ使いやすくなるので、とても助かるし、ありがたい限りである。
しかし、また同じことを繰り返す可能性は否めない。
私が考える整体師は、治療家とは異なる。
整体師の役割は、片付け方を教えて、自分できれいにできるよう指導することである。
時々、手伝いはするが、あくまでも主体は本人である。
時間がかかるし、面倒である。
しかし、ものや部屋の特性を理解し、整理整頓の方法を学ぶこと。
自分自身の力で快適な生活環境を手に入れ、維持すること。
それが、とても大切だと考えるからである。
受け手として。
施し手として。
どの「あり方」を選ぶか。
そこに、善悪や正解不正解はない。
ただ、違いがあるだけだ。
ただ、今や日本は超高齢社会である。
数年内に、国民の3人に1人が65歳以上となる。
それが、何を招くのか。
間違いなく高齢者になる自分はどう生きるのか。
今、誰もが考えるべき問題だと思う。
整体は「教育・共育」である。
私がそう提案する大きな理由の一つは、ここにある。