フリーライターの嶋田和子さんのFacebook投稿記事をシェアいたします。
ご経験に基づく的確なご提言であり、まったく書かれている通りだと思います。
嶋田さんの著書として「ルポ精神医療につながれる子どもたち」「精神医療の現実 処方薬依存からの再生の物語」があります。
ご自身が取材された事実をもとに書かれた、たいへん説得力のある内容です。
現代を生きる上で、精神医療について知ることは、自分や家族の健康を守る上で非常に重要なことです。
本投稿の末尾にご紹介しますので、ぜひご一読いただければと思います。
「助けてください」というメールを月に一度くらいもらう。
ところが最近は立て続けに「助けてください」というメールが来て、それだけでなく、私の本を読んだという高齢の方から、メールができないため出版社宛手紙を送り、それが転送されるという出来事が起こっている。
差出人は当事者だったり、親だったり。内容はどれも、向精神薬を飲み続け、いっこうによくならず、減らしてみたところ、異常な状態となり、医師に告げると怒鳴りつけられ(あるいは軽くあしらわれ)、どうすればいいのかわからない……「助けてください」というものだ。
医師は薬を知らず、したがって離脱症状を知らず、30年もベンゾを処方し続け、調子を悪くした患者のことは「面倒くさくなる」ようだ。体調悪化で、布団に横になりながら、ルーズリーフに鉛筆で、つらさを連綿と書いてきた高齢者(といっても60代後半)の女性もいる。
私はもちろん薬については素人だし、医療者でもないので、薬についてのアドバイスはできないが、それでも、これまで見聞して知っている離脱症状について説明したり、時間が必要であること、しかし少しずつよくなっていく可能性があることなどを、言葉を選びながら励まし、慰め、伝えている。もちろん、そうした活動のすべてがボランティアだ。
それにしても、こうまで立て続けに「助けてください」メールが来ると、正直「頭にくる」。何に頭にくるのかと言えば、もちろんメールを送ってくる人にではなく、そんな「治療」しかできない精神医療、精神科医に対してだ。
いい加減にしてくれと思う。自分で出した薬の後始末くらい自分でしろと言いたい。患者が減薬したいと言えば、「勝手にどうぞ」。それで、つらい状態になると取り合わず、どこにも行き場を失った人たちが、私のブログや本を見て、連絡をとってくるというのは、どう考えてもおかしな話だ。
精神医療は「医療」なのか?
もっと患者の声に耳を傾けてほしいと思います。当事者から私が聞いているようなことを、プロフェッショナルなら(お金をもらっているのなら)もっと真摯に聞くべきだ。聞く耳もたずだから、いつまでたっても進歩がない。同じ過ちを繰り返す、繰り返しているそのことにさえ気づいていない。自分たちのやっている「治療」がいかなる種類のもので、患者に何をもたらしているのか、いま一度見つめ直してほしいと強く思います。(もちろん、私はこれからも「助けて」という人には、私ができることはしていくつもりです)。
Facebook投稿記事原文は、以下よりご覧ください。
さて、私は整体という分野で、心身の不調で苦しむ方々と向き合っておりますが、多種多様かつ膨大な向精神薬が安易に処方や服用される現実に直面する日々です。
近年では、嶋田さんが著書を出されているように、その対象が子どもにまで広がっている事実に、大きな憤りと危機感を感じています。
私は、ボランティアではなく、仕事として「助けてください」とおっしゃる方々に接しておりますが、事実や経験、あるいは考えを伝えるくらいしかできず、あとは本人の理解と決断、行動を見守る以外にできません(自然治癒を助ける私たちの整体施術は、薬物の強力な作用には勝てません)。
たいへん歯がゆく、嶋田さんが書かれている通り、医師の自覚と責任について言及をしたい気持ちは強く持っていますが、医師も被害者の一員ではないかと思う面もあります。
現代社会に存在する医師の大半は、高度な教育を受けてはいるが、頭脳偏重傾向にある。
そのせいもあり、人として大切な心を育むことができていないにも関わらず、医師という日本では社会的に高い地位や権威を与えられ、多くの場合、高い収入を得ることができる。
その結果、傲慢になり、倫理観や良心が欠如し、ますます人間らしさを失い、人を人とも思わない処置を平然とやってのけるのが、日常となる…
いくらお金儲けができても、贅沢な暮らしをしているとしても、人を不幸に陥れる仕事に身を投じ続けることが、幸せな人生につながるとは、到底思えないからです。
そうやって、人間をどんどん非人間化・奴隷化し、ある特定の者だけに莫大な収入が継続的に転がり込むように意図して設計されているのが、政治、教育、医療、金融、産業など全てを含む、現代の社会システムだと思います。
これは、戦争とまったく同じ構図、仕組みであり、その施策の本質は、洗脳、愚民化、分断と対立だと考えます。
この巧みに仕組まれた、膨大かつ強固なシステムに立ち向かうのは、最新化学兵器に竹やりで挑むようなものと感じます。
大切なのは、そこで無力と思うことなく、勇気を持って戦わないこと、武器を捨てることではないかと考えております。
では、具体的に何をするか?、それを模索する日々ではありますが、今のところ、私の職能としてできることは、事実(薬とは?医療とは?教育とは?など)を伝えること、命の仕組みを伝えること、命の有難さと豊かさに気づいてもらうこと、そして大切なことを分かち合える人たちと手を携えることです。
気の遠くなるような話ですが、一人ひとりが変わること以外、社会が変わる道はないと考えております。
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整体は治療ではない、代替医療でもない。
教育・共育である。
そう主張するに至った一つが、上記に述べたような経緯です。
昔ながらのやり方を使って、新たな世界を切り開く「レトロ・イノベーション」の一つだと考えています。
そんな整体を伝える合宿セミナーを、4月に、長野県安曇野で開催します。
最後は我田引水、宣伝になりました、すみません。
https://www.facebook.com/events/333358347460210/