朝、起きられない。
起きても、頭痛やふらつきがある。
何もする気が起こらない。
体がだるい、疲れがとれない。
学校へ行けない。
約5年前から、そんな症状を訴える子どもの来院や相談が増えた。
今では、新規来院者の半数は子どもである。
病院にて受診すると「起立性調節障害」と診断名をつけられることが多い。
こじつけ感のあるこの疾患名も、最近は随分一般的になってきた。
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昨日来られた新規のお客さま。
間も無く卒業を迎える、中学三年生の男子。
昨年秋頃から、冒頭に記載したような状態だそうである。
今般、ご紹介にて来院された。
お聞きするところによると…
最近は、「思春期外来」という受診科があるそうだ。
ある病院の同科へ問い合わせたところ、初診予約が7月と言われたそうである。
また、大阪に起立性調節障害の名を冠した専門クリニックがある。
現在、新患受付を断っているそうである。
受付再開は、早くて半年〜一年後になる見込みとのこと。
これらの事実は、子どもの不定愁訴が激増していることを示している。
しかし、私の知る限りだが、思春期外来や専門クリニックへかかっても、改善されない、あるいは長い時間がかかる(大人になったら自然に治ると言われる)場合が多いようだ。
なぜなら、現代医療は対症療法一辺倒だからある。
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不定愁訴は、様々な原因が複合して発生する。
多面的、多次元的に原因を探り、総合的に解決していく必要がある。
特に、成長期・思春期の子どもは、心身両面において不安定なものである。
また、今後の人生を左右する、とても大切な時期でもある。
対応の基盤には、人間という生命体に対する深い理解と愛が必要不可欠である。
しかし、効率重視の現代医療に、これらを求めることはできない。
権威と専門性をバックに、脅して、不安をあおり、依存させ、束縛する。
患者を増やし、医療費を高騰させ、医薬関連企業と関係省庁を潤す。
それが、現代医療の役目である(怪我の治療、救急救命、緩和ケアなどを除く)。
そして、ほとんどの医療従事者は、良心と誠意と情熱をもって、それを仕事としている。
子どもを守りたいなら、まずは事実を知ることが必要だと思う。
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最近では、「起立性調節障害(OD)家族の会」なるものがあるそうだ。
私は、ひどい違和感を感じる。
親、教師、医師が、協力し合って子どもを病人に仕立てている。
私には、そのようにしか見えない。
もちろん、中には深刻な病変を起こしている子もいるだろう。
医療の助けが必要な場合もあるだろう。
しかし、私の経験した限りだが、多くの場合、起立性調節障害と呼ばれる症状は、病気ではない。
治療は不要であるばかりか、症状を複雑化・長期化させる可能性すらある。
適切な対処をすれば、早い子なら1〜3ヶ月。
長くても半年〜1年あれば、自然に、もとの元気を取り戻す。
子どもの生命力を侮ってはならない。
子どもの生命力を奪ってはならない。
また、子どもは親の鏡である。
そのことを、決して忘れてはならない。
子どもを何とかしようとする前に、自分はどうなのか。
本当に子どものことを思うなら、まずそれを考えるべきだと私は思う。