すべての人が、人生の目的…すなわち他者に供するための独自の贈り物や特別な才能をもっている。この独自の才能を他者への奉仕に結びつけたとき、私たちは至福を感じ、スピリットの歓喜を体験するのだ。それこそが目標のなかの究極の目標である ———— ディーパック・チョプラ博士
私は幼い頃から、一つの疑問を持っていました。それは、
「自分は何者であり、何のために生きているのだろう?」
その時々で、疑問の現れ方は異なれど、ずっとそんな漠然とした思いを抱きながら、生きていました。青少年の頃は、勉強して大学へ行き、一流企業に勤務すれば、その答が得られると信じていました。そして、頑張ってそれを実現させ、30代半ばまでは理想に燃え、屈辱や逆境に耐えながらも、真面目に勤務していました。
しかし、企業に身をおいていても、どんなに心身をすり減らして働こうとも、答が得られることは絶対にないと身にしみてわかった時、私は“うつ”になりました。罪悪感に苛まれ、生きる指針を見失い、自信を喪失し、自分には生きる価値がない、消えたい、死にたい…10年足らず、そんな思いで暗澹たる日々を過ごしていました。
そんな私を救ってくれたのが合氣道の稽古でした。合氣道は現代武道ではあるものの古武術の理合いを色濃く残し、最強の境地を目指しながらも、世界和合を説く精神性の高さをも鍛錬する素晴らしい道でした。この合氣道稽古の延長線上に、現在の整体の仕事を見つけたのです。
「処(ところ)を得さしむる」
この言葉は「活躍の場を得るようにする」ということで、本来の役目がきちんと果たせるように応援するという意味だそうです。これは、古事記に書かれた、国作りの理想だそうです。古事記とは、申し上げるまでもなく、現存する日本最古の歴史書と言われています。
合氣道開祖である植芝盛平先生は、「合氣道とは古事記一巻を体で表わすことである」とおっしゃったそうです。開祖は、古事記に書かれた古代の国作り「自然の営みに逆らわず、天地の心と一体となって、山野の恵みを育て、人の生かし方を苦心し、共に栄えることを図る」を実践することこそ、合氣道が真に目指すところだと説かれたと拝察をいたします。
整体院であれ、整体塾であれ、私が整体の仕事を通じて目指すのは「処を得さしむる」こと、それに尽きます。誰もが生まれながらに備える才能、資質、役割、使命。それに気付かせ、覚醒させ、至福を感じさせ、スピリットの歓喜を体験させる。そのお手伝いをすることこそが、私が手がける整体の本懐なのです。
さて、添付した写真は、私が1歳半の頃。当時からクルマが大好きだったそうです。どこへ行くのも、クルマのおもちゃを手放さない。母は、この子(私)は将来、自動車メーカーに勤務するエンジニアになると想像していたそうです。ところがどっこい、今もクルマは大好きですが(眺めるのも、運転するのも)、自分の才能、資質、役割、使命は、まったく想像もしなかったところにあったようです。