30代半ばから稽古を開始した合氣道。思えば、人生の転機はそこから始まっていたのだと思います。
合氣道は、昭和の時代に、傑出した武術家である植芝盛平が創始した現代武道です。現代武道の大半が格闘技化、競技スポーツ化していく中で、合氣道はその精神性と実践において、古武術のそれを色濃く残しています。また古神道の影響も強く受けています。私が強く惹かれたのは、これらの理由があると感じています。
数年間、合氣道の稽古を重ねる中で、自分自身の心身の変化を感じるようになりました。その経験から、稽古の本懐は「ゆるし、ゆるみ、ゆだねる」ことにあると感得しました。それは、よりよく生きるための重要な極意でもありました。また、書籍を通してではありますが、開祖である植芝盛平翁の深い思想に触れました。
以下、開祖が遺したとされる有名な一節です。
合氣とは愛なり。天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。合氣とは自己に打ち克ち敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而して武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。
初めて読んだ時、心を打たれました。魂が震えました。開祖は長い修行の末、霊肉一体の至上境に至り、悟りを開かれたのでしょう。そして、日本人の果たすべき役割として、合氣道を世界和合の道と位置付け、その実践と啓蒙に尽力をされたのでしょう。
当時、サラリーマンだった私は、ここにこそ自分の生きる道がある!と、強くそう思いました。そして、生涯をかけてこの道を歩みたいと強く願いました。しかし、30半ばで道へ入った私にとっては、合氣道で生計を立てるのは、あまりにも現実離れしていました。
そんな折に出会ったのが、整体です。当時、整体には興味も関心もありませんでした。むしろ、医師でもないのに医療擬似行為を行ういかがわしい仕事とすら思っていました。そんな私が、なぜ整体の道を歩みだしたのか。サラリーマンをやめるという大きなリスクを負ってまで、なぜこの道で生きていく覚悟を決めたのか。
それは、私が出会った整体(現在実践している整体)が、思想と実践において、合氣道と通じるところが大いにあったからです。その整体が目指すものは合氣道と同じ、つまり上記の一節そのものと直感したからです。しかも、それで脱サラし、生計を立てられる可能性が見えたからです(実際に実現している人が大勢いた)。
実践を重ねる中で、最初の直感は間違ってなかったことを確信いたしました。しかし、50歳を目前にした脱サラと起業は、想像もしなかったほど険しい道でした。並々ならぬ困難や障壁が次々とやって参りましたが、乗り越えるたびに少しずつ成長をさせていただきました。
おかげさまで、現在、創業12年目を迎えております。ちなみに、起業して、事業を10年継続できる者は、わずか6%だそうです。サラリーマン経験しかない私が、50歳手前で、未知の業界、未経験の仕事で起業し、ここまで生き延びることができたのは、たくさんの人たちのおかげであることはもちろん、目には見えない大いなる天の力の働きを感じます。
そんな私の経験を分かち合い、共にこの素晴らしい道を歩む仲間を強く求めています。そして、自分らしく、自立して、自由に生きる大人を一人でも増やしたいと考えています。