昨夜、オーストラリア在住のヒーラー&セラピストの方と、ZOOMを使ってお話をさせていただく機会がありました。考えてみると、海外在住の方とZOOMやSkypeを使って会話をするのは初めてであり、非常に新鮮かつ感慨深い体験でした。
その中で、オーストラリアと日本の違いについて、いくつか話をしたのですが、最も印象に残っているのが、概してオーストラリアの人は、自分の健康に責任を持っているということです。
一例として、オーストラリアの高齢者は、基本的には自活をしているそうです(過去に、他のオーストラリア在住の日本人からも同様の話を聞きました)。そのためにいろんな努力をしますが、いよいよ自分ではどうにもならないと判断したら、財産を全て処分し、自分の意思で、高齢者向けの施設に入るそうです。
人として自立するのが当然のことであり、それは自分の尊厳を守ることと同義です。つまり、自分の命を大切にし、人生を愛しているがゆえに、健康に責任を持つのだと思います。考えてみれば、それは人間として当たり前のことであり、日本人がいかに異常かを改めて思い知った次第です。
日本は、今や世界にも類を見ない超高齢社会に突入しています。このまま、自分の健康に責任を持たず、全て他人(医療)任せにして健康を害している人間たちが高齢者になっていったら…考えただけでゾッとします。実際、今のままでは医療も介護も破綻確実だと予測する人もいます。
人間である以上、例外なく老います。それは止めることはできません。つまり、いかに老いるかを考えることは、いかに生きるかに等しいと思います。しかし、日本には「アンチエージング」という言葉があるように、老いることに抵抗するのが主流であり、よりよく老いるという姿勢や考え方を持つ人は少ないように感じます。
私は、老いることを積極的に考えています。年齢を重ねることは、人生経験を重ね、自分を磨き、高めることであり、それは失われることのない豊かさそのものです。もちろん、肉体的には弱るでしょうが、心が弱ることはありません。では、いったいどう考え、どう生きればよいのか。実は、日本伝統の整体は、そのためのマインド、スキル、ノウハウの宝庫なのです。
そんな事情も鑑みた上で、教育・共育としての整体を実践、提唱、指導をしております。共に学び、自らがよりよい老いを実践し、若い世代に生きる希望を見せられる大人を増やすことが、私の使命だと心得ております。生涯にわたり豊かに生きる道、一緒に歩んでみませんか。