整体修行は真の癒しへと到る道

仕事について

“癒しとは、真実を知り、真理を理解することによって得られる、内なる気付きに根差した、心の平安と命の調和である”(西田の定義)
 
私が12年前に整体を学び、脱サラして起業し、人生を大きく変えようと決断した時、そこには合理性や勝算はほとんどなく、大きなリスクがあるのみでした。それでも、どんなことをしてでもこの道を進みたいという強い衝動があり、迷いはありませんでした。
 
後に、師匠(故人)から「この整体は、ごく少数の選ばれた者しか授かれない」と言われたことがあります。縁あってこの整体を知ったとしても、それを習得し、熟練し、使いこなし、真に人に尽くすことができるのは、ごく一部の人間だけだと…
 
3年前にアメリカのセドナへ行った時、ネイティブアメリカンが遺したとされる壁画を見せられました。その壁画は簡単に申し上げると、中央に手の大きな人物がおり、周囲にたくさんの人間が群がっている、そんな絵でした。
 
ガイドさんから、壁画の中央に存在する手の大きな人物は、今でいうヒーラーであり、部族の中でも、訓練と経験を積み、周囲から尊敬される、徳の高い特別な人物であったのではないかと説明を受けました。
 
現在、巷には自称セラピストや治療家があふれています。師匠はこの状況を見て「盲人が盲人の手を引くような、非常に危険な状態」と評しておりました。当時は意味がわからなかったのですが、最近になってようやくわかるようになりました(わかった気になっているだけかもしれませんが)。
 
また、師匠が一方的に“心の師”として慕っていた人物(残念ながら、私はお会いしたことはなく、著書を読み、CDや動画を視聴して知るのみですが)は、人を癒す神がかり的な力を授かっていましたが、自分が経験した苦行を他者に勧めることはできないと、弟子や後進はいっさい育てなったそうです。
 
以上のようなことから、真の癒しへの道を歩み続け、力を授かることができるのは、ごく少数の選ばれた人間だけなのだと思います。その他の大勢は、癒しの入口となる“慰安”に携わるのみですが、それはそれで必要とされる職能ゆえ、どちらがいい悪いではないと思います。
 
私が“ごく少数の選ばれた者”であると申し上げるつもりは微塵もありません。しかし、冒頭に述べたように、どんなリスクを負ってでも、全てを投げ出してでも、この道を歩みたいという強い衝動に駆られて断行し、その後も絶体絶命の窮地をいくつも乗り越えながら、12年間、生き延びたのは事実です。
 
その間、徹底して実践してきたのは、本当の自分に問い続け、自分の本当の声に従い続けるということです。12年前、人生の折り返し地点である47歳で起業した時に、固く誓ったのは、今後の人生後半においては、絶対に自分に嘘をつかない、自分をごまかさない、自分が納得できないことはしない、だったからです。
 
そんな偏屈な私が主宰する整体塾ゆえに、入門を希望する人は極めて稀少です。しかし昨日は、お会いしたこともないのに、入門をほぼ決めた状態で、整体院を訪ねてくださった方がいました。嬉しくて、嬉しくて、抱きしめたい衝動に駆られましたが、初対面ゆえ遠慮し、握手にとどめました(笑)。
 
真の癒しへの道は、まずは触れる、掌を育てるところからはじまります。大切なのは「実践すること」、そして「継続すること」です。

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