私が最も好きな合氣道家である、山口清吾師範。すっと通った美しい姿勢、臨機応変かつ無駄のない体捌き、技のキレの鋭さなどに、たいへん僭越ながら、大きな魅力を感じる。
動画を見る限り、激しく投げられているように感じるが、実際はそうではないらしい。実際に師範の手を取らせてもらった(一緒に稽古をした)経験のある人に、話を聞いたことがある。
私は、鋼のように硬く、鞭のようにしなる手や腕を想像していたが、全く逆だという。その人によると「山口師範の手(腕)はとても柔らかく、まるで何もないようだった」とのことだった。
合氣の技術の極意とは、接触点から瞬時に相手の全身をとらえること。そして、相手と融和すること。その結果、相手はこちらの意のままに、自在に操作され、投げられる。私はそのように理解をしている。
私が12年前、初めて回復整体(現在の自律神経整体のもとになった整体)の施術を受けた時「これは合氣道と同じだ」と直感した。当時、言語化はできなかったが、思想と術理が合氣道そのものだと感じたのだ。
以来12年、1万人以上の身体に触れ、探求と研究を重ね、術理や機序を考え抜いてきた結果として、その確信を深めている。私たちの自律神経整体の技術の極意は合氣、つまり相手と一つになることなのである。
合氣道開祖である植芝盛平翁が、整体の父と言われる野口晴哉師に、合氣道の稽古をしたこともないのに、最高段位を授与したという言い伝えがあると読んだことがあるが、おそらく本当なのだろうと思う。
先日、私の施術を初めてご覧になった方が「相手とすっとひとつになっているように見える」とおっしゃった。とても嬉しい表現だったことは、言うまでもない。
ただ、私はまだまだだと思っている。やっと入口が見えてきたところだ。9月に体調を大きく崩して以来、お休みをいただいている武術(大東流合氣柔術)稽古も、そろそろ再開したいところだ。
それにしても、日々の仕事の中で、技術を磨き、深め、高め、己を成長させることができるというのは、なんと幸せなことだろうと、改めて思う。