現代日本の社会。とんでもないこと、信じられないようなことが次々と起こっている。社会はどんどん理不尽さと異常さを増していく。そして、国が壊れていく。なぜこのような社会になったのか。それは、私たちがそうしたからである。
私たちは、中世から続く「自発的隷従」の社会システムに甘んじてきた。あらかじめ用意された正解を答える。命令には絶対服従。言われたことを言われた通りにこなす。これまでは、それが社会の繁栄につながったのかもしれない。しかし、もうとっくに限界が見えてきている。
広がる経済格差。止まらない原発。政治の腐敗。戦争への足音。産業の空洞化。世界の流れとは逆行する医療や農業。汚され壊され続ける自然。放射能や電磁波の脅威。年間10万人以上にのぼる自殺者。60万人もの中高年の引きこもり者。自ら命を絶つ多くの若者たち。増え続ける痴呆高齢者…
この国は確実に滅びつつある。それでも多くの大人は、保身のために黙々と「自発的隷従」を続ける。束の間の快楽に生きがいを見出し、その場合限りの慰安にふけり、満足する。それで幸せなら、奴隷でもいいじゃないか。もちろん、それも一つの生き方だ。だから否定や批判をするつもりはない。
でも、子どもたちを見ると、非常に心が痛む。この子たちが大きくなった頃、どんな環境で、どんな気持ちで生きているのだろうと想像すると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。何よりも、自分自身が自由でいたい。だから、私は行動する。
それでも、社会は変わらないだろう。しかし、変わらない社会とは絶対に妥協しない。自分はいくらでも変えられるのだから。命には無限の可能性があるのだから。誇り高い日本人の魂を持っているのだから。私は、そこに希望を持って生きる。
以下、岡本太郎さんの著書『自分の中に毒を持て』より引用。深く共感する。
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激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。世の中が変わらないからといって、それでガックリしちゃって、ダラッと妥協したら、これはもう絶望的になってしまう。そうなったら、この世の中がもっともっとつまらなく見えてくるだろう。だから、闘わなければいけない。闘いつづけることが、生きがいなんだ。しかし、今まで、ぼくはずいぶんと闘ってきたが、世の中が変わらないどころか、逆に悪くなってきている。つまらなくなったことは確かだ。変えようと思っても、変わらないのは事実なんだ。だけど、挑むということでぼく自身が、生きがいを貫いている。ぼくは絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが、ぼくの姿勢だ。