以下、あくまでも私個人の感じ方であり、考え方である。ただ、同じように感じ、考える人も決して少なくはないことを期待し、提案をしたいと思う。
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常に顔面の半分を覆い隠され、思う存分会話や食事を楽しめず、最も重要な命の営みである呼吸を阻害される。人との接触を遮断され、大切な人に手を差し伸べることも、大好きな人を思い切り抱きしめることもできない。移動する自由を奪われ、仕事を制限され、文化活動や伝統行事、心ある小さな商いが次々と破壊されていく…
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現在起きているこれらの状況は、「新しい生活様式」という聞こえの良い言葉で飾られ、多くの人間が受け入れ、むしろ積極支持しているようにさえ見える。思うに、この延長線上に待っているのは、言いたいことが自由に言えず、やりたいことが自由にできない、さらには個人の言動や財産がすべて監視され、管理される…そんな“現代版奴隷社会”ではないだろうか。
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今、現実化している、民衆全員に対するマスク着用要請(半ば強制)は、そこへスムーズに移行するための周到な準備過程である。そもそも今回のCOVID-19騒動は、全世界の民衆が虚実を峻別する思考力や洞察力に欠け、権威や権力を盲従し、恐怖による煽動によって容易に操作できることを確認するための、超大規模な実証実験だったのではないだろうか。
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私が真に恐ろしいと思うのは、新型のウィルスではなく、ほとんどの人間が正常な感性や思考力を喪失、もしくは放棄していることである。マスク専門店ができるなど、この流れを促進する民間の動きも活発ゆえ、もしかしたら、奴隷社会の実現を望んでいる人間の方が圧倒的に多いのかも知れないと感じ、絶望的な気持ちにすらなる。
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最も気になるのは、現在の乳幼児たちの将来だ。彼らは、基礎的な身体機能はもちろんのこと、性格や情操を形成する超重要な第一次成長期を新しい生活様式の中で過ござるを得ない。その結果、基礎体力が著しく低下し、人間的な感性や情意に欠けるロボットのような存在になるのではないかと懸念する。それは、人間が人間でなくなる社会が到来するということであり、ウィルスの比ではないくらい恐ろしいことだと私は思う。
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もし、あなたがこの流れに気付き、止めたいという稀有な人ならば、まずはマスクを外して欲しい(病人や高齢者がたくさんいる病院や施設は以前からマスクが必要だったし、何らかの理由でマスクが必要な人は別である)。マスク常用は、他者を不安や不快にさせないための思いやりや気遣いだという人も少なくないが、それは無知無理解、もしくは保身のための言い訳である。
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ただ、マスク非着用は、現時点では身の危険を伴う場合も少なからずある。だから、女性は保身のためにマスクをしてもいい。しかし、男性は違う。男性の第一の存在意義は、女性と子どもを守ることにある。彼女ら彼らを奴隷にしたくないなら、今、立ち上がらないでどうする、と私は思う。幸い我が国には、今のところ罰則も罰金もない。今が、流れを止める最後のチャンスかも知らない。