昨夜、沖縄出身の神人(かみんちゅ/シャーマン)である女性のオンライン講演会を聴講した。テーマは表題の「地球の願い〜癒しを求めて」である。聴講中及びその直後は、正直申し上げて、何をおっしゃっているのか、よく理解できずにいた。たいへん失礼ながら、お金と時間の無駄だったとすら感じた。
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しかし、一晩経過した翌朝(つまり今朝)、極めて重要なことを伝えられたことに気が付いた。言語では表現できない方法で、自分の深い部分(魂)に対し、直接働きかけられたような感覚をおぼえたのである。その結果、私の中で、ある覚悟が決まった。
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地球の癒しと人間の癒しは、全く別ものである。地球が求めている癒しとは、早く言えば「人類の消滅」である。人間ごときが、地球に優しくとか、地球を癒すなど、おこがましいにもほどがあるのだ。物事を深く観察や考察をされている方なら、言わんとすることがご理解いただけると思う。
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そして、今や人類は、自らの手で自らの未来を閉ざそうとしている。昨年のコロナ騒動により、それが明らかになった。100%に近い人間が、意図された計画に気付こうとせず、自分で調べたり、考えることなく、すすんで健康を損ね、経済や文化を破壊し、子どもたちの未来を奪いつつある。まさに、末法の世である。
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時期は別として、人類が地球上から抹消されるのは、ほぼ確定しているそうである。そのような状況下、唯一、残された道は、人類が争いを止めることだそうである。では、争いを止めるには、どうすれば良いのか。それは、自らを癒すことである。真に癒された人間は、絶対に争いを求めることはないからだ。
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今、癒しを必要としている人は、膨大に存在している。しかし、世に提供されている癒しの大半は、一時的な「慰安」の域を出ない。もちろん、慰安も癒しの入り口として重要な役割を担うが、真に必要とされている癒しとは異なる。真の癒しとは、あくまでも私の定義だが、
「癒しとは、真実を知り、真理を理解することによって得られる、内なる気付きに根差した、心の平安と命の調和である」
これが正しいか、どうかはわからない。しかし、私が整体の仕事を通して伝えたい癒しとは、上記の定義に尽きるのである。簡単に手に入るものではないゆえ、何事にも即効性と簡便性を求める現在の社会風潮には全くそぐわないが、私はたとえ自分の命を縮めようが、自分の信念を貫く所存である。
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昨夜の神人は、その覚悟を私に迫ってくれたのである。ご本人、並びに講演会を開催してくれたロンドン在住の女性、そして、私に講演会を教えてくれた女性に、深く感謝する次第である。ありがとうございました。