二人の息子が幼かった頃、私は、一緒に過ごす時間をできる限り多く持とうとしていた。サラリーマンだった当時、朝7時前には出勤し、人がいない間に効率よく仕事をこなし、残業せずに済むようにした。それは、早く帰宅して、彼らと一緒に風呂へ入るためである。
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週末は一緒に公園へ行ったり、家の中でレゴや積み木を使ってよく遊んだものである。たまに一緒の布団に寝て、同じ絵本を何度も何度も読み聞かせた(彼らの最もお気に入りは「かいじゅうたちのいるところ」であった)。
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また、彼らが幼稚園児や小学生の頃は、必ず出勤前もしくは登校前に抱きしめることが習慣であった。さすがに、彼らも高学年になる頃には嫌がるようになったので、いつの間にかその習慣もなくなってしまったが…
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正直に言うと、私はこれらを彼らのためにしていたわけではない。すべて自分のためである。当時、仕事や人生に悩み、自信を無くし、自分を見失っていた私にとって、彼らと一緒に過ごすこと、彼らを抱きしめ、彼らと話すことが、何よりもの救いであったのだ。
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彼らがいなければ、もしかしたら私は自ら命を絶つ選択をしていたかも知れない。それほどまでに思い悩み、心を病んでいた。彼らに範を示すことができない情けない父親であることを恥じ、人知れず涙することも多々あった。でも、それ以上に彼らを愛していた。
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愛する彼らが生きるための糧となる給料を稼いでくる…何としてでも彼らを守らねばならない…当時、それが私の唯一の存在意義であった。それだけを拠り所に、どんなに苦しくとも、どんなに辛くとも、休むことなく勤務を続けた。
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二人の息子はとっくに成人し、親元を離れ、それぞれ仕事を持ち忙しくしており、今は会えるのは年に数度である。それでも、幼かった彼らのやわらかく、あたたかな肌接触の感覚が、私の中にはとても根強く残っている。
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私が現在の仕事に大きなエネルギーが注げるのは、もしかしたら、この肌接触で得られた感覚が原動力なのかも知れない。子どもを愛し、子どもを守りたいという強い気持ちは人類共通のものである。それは、やがて全ての命を愛し、守りたいという気持ちに発展するのではないか。
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そして、その気持ちを発芽させる原点であり、その気持ちを育む養分は「肌接触」に他ならないと強く思う。だから、育児に限らずとも、握手やハグなど、日常において肌接触によって得られる感覚は、人間が生きる上で、理屈抜きに極めて重要であると考える。
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以上のような理由により、肌接触に対し嫌悪の感情を抱かせかねない「感染拡大対策」や「新しい生活様式」に対し、私は断固として反対の意を表す。現在、多くの人がなびき、受け入れようとしているが、それは人間らしさの放棄としか思えない。
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息子たちが幼かった頃に今のような状況になっていたら、私は何を考え、どう行動しただろう?今を生きる若い父親や母親たちは、今の状況をどう感じているのだろう?私たちは、今、本当に大きな分岐点に立っていると思う。どうか目覚めて欲しい。
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息子たちが幼い頃の写真は、別れた元妻が全て持って行ってしまったので、私の手元には数枚が残っているのみである。添付のものは、そのうちの貴重な1枚である。1996年、今から25年前である。
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肌接触は触覚だけでなく、視覚、聴覚、嗅覚、味覚など、様々な感覚と結びついているのか、それを頼りに様々な記憶が、生き生きと蘇ってくる。それは、消えることのない大切な宝物である。