私が実践提唱している整体の極意は、「ゆるす」「ゆるむ」「ゆだねる」に集約されます。それを体得すべく、施術(練習)を重ねていくことが整体修行の根幹となるのですが、プロにならない限り、一日中、施術をしているわけには参りません。そこで日常をどう過ごすかが、とても重要になります。
私自身、昨年以来、施術をする機会が激減して(感染を気にするお客さまが多いようです)困窮していたところ、日常のあらゆる場面において「ゆるす、ゆるむ、ゆだねる」を一度に実現するための言葉を思い付きました。それが本日ご紹介する「ゆずる」ということです。
道をゆずる、席をゆずる、相手の都合や主張を尊重する、相手の利を優先するなど、日常において「ゆずる」場面は多々あります。意見や利害が対立したり、相手がこちらの意に沿わない行動をした時など、怒りや攻撃の感情が湧いた時は、ともかく「ゆずる」。気が収まらないかもしれないが「ゆずる」。
それを心がけていると、時として「悔しい」とか「損したな」と思うこともあるけれども、少しずつ心穏やかでいられる時間が増えてきました。そして、随分と以前に本で読んだ「ナガタ」「ナガサキ」という生き方を思い出しました。以下「神さまが教えてくれた幸福論」(神渡良平・小林正観)という本から引用します。
「ナガタ」とは、「あなたが楽しいと思ってくださることが私の幸せです」と、他の人の楽しみを先にする生き方をすれば、こちらも不思議に栄えていくという生き方のことです。
「ナガサキ」は、あなたの幸せが先で、「何か私がお役にたてることがあればうれしい」と思って行動することを意味します。
ご紹介した本によると「ナガタ」「ナガサキ」とは、古代日本人の生き方だったそうです。一方で、古代日本には争いのない社会が長く続いていたと伝えられています。なので日本人にとっては、日常的に「ゆずる」という生き方がなじみ深く、理解や実践がしやすいのではないかと思います。
私自身、勝ち負けや規模の大小を競う現代社会に生きることに疲れ果て、その枠組みから離れ、一職人として至誠の生き方をしたいと願い、整体師になりました。しかし、それでも気がつくと、競争に巻き込まれ、闘志をむき出しにし、戦おうとする自分に気がつき、愕然とすることがあります。
昨年以来、コロナウィルス騒動を機に、社会は分断と対立がさらに進みました。私も、同じ社会で暮らしていながら、これほどまでに考え方や価値観が異なるのかと驚くことが多々あります。そして、自分の正しさを主張し、おまえたちは馬鹿だ、間違っていると声を荒げたくなることもあります。
そんな自分を戒め、日本人が古代において備えていた精神性を思い出し、争いのない世界を実現する先導役になる一助として、自ら日常において「ゆずる」生き方を実践し、「無為自然」を思想の根幹とする整体の概念と実践を、一人でも多くの方にお伝えしたいと改めて強く思う次第です。