ごくたまに、突然、連れ合いである森 亜紀子が尋ねてくる。「私のいいところを3つあげて」と。いつも私は真っ先に「几帳面なところ」と伝えるのだが、そうすると彼女は「なんか堅物(カタブツ)のように思われているようで、ぜんぜん嬉しくない」と不機嫌になる…
彼女と暮らしていると、本当に感心することがある。とにかく几帳面なのである。生活用品や食器などは、収納場所を決め、使い終えたら即座にそこへ戻す。洗濯物を干す時や食器洗いや乾燥、ゴミ出しをする際も、美しく整える。とにかく、常に見た目を美しく保つ、それが徹底しているのだ。
彼女に言わせると「ごく当たり前のことをしているだけ」。「それに、母に比べたら、私など全くなってない」とのことであるが、だらしない私からしたら驚きの連続である。そんな私も、彼女と一緒に暮らし始め、叱られ続けたおかげで、少しはマシになったかも知れない(笑)。
ついでに言うと、彼女を眺めていて感心する点がもう一つある。それは、自分の体型や特質をよく認識し、自分に何が似合うかをよく理解していることである。その上で、着衣の色、形、大きさ、素材感などを徹底的に吟味した上で購入し、選択や組み合わせをし、着ているようだ。
彼女の様子を見ていると、決して流行は追わないし、滅多に新しい洋服を買うこともないのに、私の欲目もあるだろうが、とてもおしゃれをしているように見える。そのせいか、10年前、彼女が私の整体院へ初めて訪ねて来た時は、お金持ちの奥様という印象を受けたくらいである。
これは、私の勝手な定義だが「整える(ととのえる)」は人為的行為であり、「調う(ととのう)」は内発的・自然発生的現象である。人であれ、ものであれ、調律されたものは美しいが、そのためには、まず「整える」ことが必要なのである。ゆえに「几帳面」という評価は決して悪い意味ではないのだ。
数日前、彼女が作ってくれたおむすび弁当。見た目はもちろんなのだが、素材選びや調理法や調理器具についても、彼女は非常に気を遣って整えている。このお弁当をご覧いただければ、彼女の几帳面さの一端をお察しいただけると思うし、それは素晴らしい美徳であることもご理解いただけると思う。
ただし、この記事で伝えたいのは、いわゆる“惚気(のろけ)”ではない。整体も全く同じだということが伝えたいのだ。私は、誰でもすぐにできることとして「姿勢を整える」「呼吸を整える」「言葉を整える」ことをお伝えするが、それは全て自己調律の基本である。つまり、“調う”ために“整える”こと必要であることを伝えたかったのである^-^