本日、東京、大阪、京都、兵庫に3度目の緊急事態宣言が発令されることが決定したようだ。期間は、4/25〜5/11。飲食店に対する時短要請や酒類提供禁止など、馬鹿馬鹿しさ、理不尽さ、異常さもここまで度が過ぎると、もはや言葉も出ない。それにしても驚くのは、大多数の人間が、3度目の緊急事態宣言を必要と判断しているらしいことである。
Yahoo!ニュースの「みんなの意見」というネット投票の結果によると、「緊急事態宣言、3回目の発令は必要だと思う?」という質問に対し「必要」と投票している人が74%を占めるらしい。数字の信憑性は定かではないが、マスク着用率ほぼ100%という町の様子を眺めていると、納得する数字ではある(https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/42315/result)。
コロナ盲信ぶりといい、マスク着用率といい、つくづく思うのは、日本人の大半が、すっかり「野性」を失っているということである。野性とは、以下、大辞林より引用転載するが、私は“本来の人間らしさ”という意味で使っている。
やせい 【野性】
(野生動物の)生まれたままの本能むき出しの荒っぽい性質。教育などによって変えられていない、本能のままの性質。〔同音語の「野生」は動植物が山野に自然に成長・生育することであるが、それに対して「野性」は自然のまま、または本能のままの性質のことをいう〕
日本人は、礼儀正しく、勤勉かつ器用、柔軟で争いを好まず、利他の精神に富むという気質を備える民族だと思う。明治維新以降、特に先の大戦後は、その気質をことごとく巧みに利用され、野性を喪失していった。先日の投稿で言及した、オーストラリア在住の友人が「日本には生命の躍動を感じる人間がほとんどいない」と表現したのは、このことではないか。
日本人が野性を喪失することに、大きく寄与したのが「国民皆保険制度」と「終身雇用制度」ではないだろうか。これらが日本人の長寿化や、経済発展に寄与したのは事実だし、私たちはその恩恵を多大に受けている。しかしそれと同時に、守られることに慣れ過ぎてしまい、大切なものを失ってしまったと感じてならない。
その最大のものが、本稿で言及している「野性」ではないか。昨今のコロナ騒動を眺めていると、日本人の大半は、野性の根幹である生存本能すら放棄しているように見える。集団で動き、マスクをして個性を消し、自分の頭で考えることもなく、操られるがままに行動する。そして、識別の刻印さえ打たれようとしている…
その姿は、まるで家畜同然である。家畜は、餌は与えられるし、当面の身の安全も保証される。しかし、概して住む環境は劣悪で不衛生、自由はないし、いつ何時、屠殺されるかもわからない…そんな生き方が悪いとは言わない。望むなら、お好きにどうぞ。でも、私は嫌だ。巻き込まないで欲しい。引きずり込まないで欲しい。
でも、もし、あなたが何かおかしいと気付いたなら、野性を取り戻そう。それは、野生動物として生きよう、原始時代の生活へ戻ろうということでは決してない。万物の霊長としての野性を取り戻そうという提案である。野性を取り戻すとは、感性を目覚めさせ、知性を磨き、理性を鍛え、品性を高め、個性を輝かせることである。これについては、次の投稿で、詳しく、具体的に述べたい。