昨日、あるお客さま(女性、仮にAさんとします)の整体施術をお断りし、お帰りいただきました。
開業以来、初めてのことではないかと思います。
そのお客さまは、心身楽々堂へは100回近く、通ってくださっています。
とてもお世話になっている、ありがたいお客さまです。
最近は、メンテナンスが中心で、来院頻度としては月に1~2回というペースでした。
それなのに、なぜ、施術をお断りしのたか。
お帰りをいただいたのか。
また、あえてこうやってブログ記事で取り上げたのか。
本記事では、その裏にある思いを述べてみたいと思います。
私は、Aさんに、どうしても伝えたいことがありました。
何を伝えたかったか。
それは、一言で申し上げると「命を大切にして欲しい」ということです。
このAさん、初めて心身楽々堂へ来られたのは、約2年半前です。
当院へ通い始めて、しばらしくして、転職をされました。
元の職場が、よほど辛かったのでしょう。
転職されてからは、とても楽しそうに、イキイキ過ごしておられるように見えました。
ところが、ここ半年ほど、様子がおかしいと感じるようになりました。
遅刻するのが、常態になってきたのです。
5~10分の遅刻は当たり前、予約時間に間に合う方が珍しいほどでした。
最大20分、遅刻されたこともありました。
その時は、たまたま次の予約が入っていなかったので、20分の遅刻でも、対応させていただくことができましたが、10分以上の遅刻は必ず連絡するよう、厳しく注意をしました。
Aさんも、とても反省をされていたと思います。
遅刻以外、とても気になることがありました。
それは、カウンセリングや施術の最中に、スマートフォンを触ることです。
メールの確認や送受信はしょっちゅう、かかってきた電話に出ることさえ、何度かありました。
常に、何かに追われている、そんな印象を受けました。
当院のセッション(=カウンセリング+施術+指導)時間は、30分です。
たった30分間、スマートフォンから離れることは、できないのだろうか…
それほど緊急な用件が、たくさんあるのだろうか…
それとなく注意したこともありましたが、Aさんの心には届いていなかったようです。
昨日のAさんは、膝の調子が悪いと訴えて来院されました。
例の如く、5分遅刻でした。
最初のカウンセリングをしている最中に、メールの送受信をされていました。
毎回「すみません」と謝られるので、ご自分でもよくないとは思っておられるのでしょう。
しかし、今回はそれだけでなく、電話をかけ始められたのです。
この時点で、私は「これは、いま言っておかなきゃ!」と、思いました。
そして、Aさんに次のように告げました。
「Aさん、申し訳ありませんが、今日の施術は中止します。お金はいただきませんので、このままお引き取りください。たった30分の時間すら確保できないほど大切な用件があるなら、それを済ませてからお越しください。また、たった30分、自分のために時間を使えないような人に、施術をして意味があるとも思えません」
Aさんは、とても驚いた様子でした。
この記事をお読みの方の中にも、「たかが電話くらいで、そこまで言わなくても…」とお感じの方もおられるかと思います。
正直に申し上げて、彼女の態度に、感情を害しました。
一生懸命、カウンセリングや施術をしている時に別のことをされる、つまり、メールの送受信をされたり、電話をかけられたら、私はよい気持ちはしません。
ある意味、とても無礼な態度であり、同様に感じる人もいるのではないでしょうか。
でも、私は自分の不快感を伝えたかったのではありません。
自分に不調があり、時間を割き、お金を払い、整体を受けに来られているのです。
私が伝えたいのは、せめてその30分は自分のことに集中しませんか、ということです。
仕事を真面目に、一生懸命やるのはよいことです。
その一環として、メールや電話に素早く返事をするのも、大切なことです。
しかし、もっと大切なものがあるのではないか。
それを忘れてはいないだろうか。
現在のAさんのように、常に仕事に追われているような状態は、それでいいのだろうか。
痛みや症状は、それがどのようなものであれ、自分が創りだしたものです。
自分の思い、姿勢、生活習慣などの歪みや乱れが、痛みや症状となって顕現するのです。
かつてAさんは、それでさんざん苦しんだはずです。
悩み、迷った末、自分で新しい選択をして、ようやく苦しみから脱したはずなのに、このままでは、またもとのような状態に戻ってしまいかねないと私は思ったのです。
だから、今回、あえて厳しい対処をいたしました。
黙認して、いつも通り施術をする選択もありました。
厳しいことを申し上げると、大切なお客さまを一人、失ってしまうかも知れません。
そうなると、経営的には大きな痛手です。
だから、黙って見過ごした方が、楽な選択だったと思います。
しかし、私は、整体師として伝えるべきことは、伝えたい。
心身楽々堂は、単なる整体院ではなく、生き方を整える整体院でありたい。
他のどこにもない、命の学校でありたい。
そのために、どこまでも命の真実を追究し、それを人さまに伝える役割を守る。
自分を欺くこと、誤魔化すこと、妥協をすることはしない。
どんな時も、自分の信念と良心に基づくことを、利益の源泉にしたい。
整体院の経営を通じて、自分のあり方を示したい。
だから、今回、あえて伝えにくいことを伝えました。
賢い選択ではないかも知れませんが、これからも私は私の道を行きたいと思います。
そして、この道で「幸せに生きていける」ことを示したいと思います。