一昨日、あるお客さまから「私が学生時代に、大学で出された課題で書いた文章なのですけど、先生に読んでいただきたくて…」と、A4の紙1枚を渡されました。
そこには、「止まる」をテーマとした彼女の考察が書かれていました。
全文をそのまま転載したいほど的を得た内容であり、大いに共感をいたしました。
彼女は、この一文を、次のように結んでいます。
“人も町も「止まる」時間をつくるべきである。私たちは「止まる」ことによる美点を考え直してみなければならない。”
本当にその通りであると思います。
私は6年前、24年間勤務した会社を辞めました。
いろいろ理由はありましたが、いちばんは、経済発展至上主義の構造の一部として働き続きることに大きな疑問を持ったからです。
敷かれたレールの上を走り続けるのではなく、立ち止まって考えたくなったのです。
当たり前のことながら、定期収入は「止まる」。
しかし一方で、多額の住宅ローンや子どもたちの教育費用など、自分の都合だけで止めることのできないものもあります。
そもそも、サラリーマンを辞めたところで、経済発展至上主義の社会から逃れられるものでもありません。
その狭間の中で、人に言えぬ苦労をして参りました。
しかし、あの時、「止まる」選択をして本当によかったと思います。
肉体的、経済的には、サラリーマン時代の比ではない苦労をしていますが、幸せだからです。
あのまま止まることなく、走り続けていたら…
考えただけで、ぞっとします。
もっと便利に、もっと快適に、もっとたくさん、もっと早く、もっと安く、もっと簡単に、もっと楽しく、もっと、もっと、もっと…と、私たちは「もっと」を求めて止まることを知りません。
求め続け、走り続けることが善とされ、それに疑いを持つ者は、「負け組」というあまり嬉しくない呼称を頂戴します。
そう呼びたいなら、どうぞお好きにしてください。
私たち人間は、地球上で唯一、自然に抗うことができる能力を身に付けた存在です。
ここ100年弱の間、止まることなく、走り続けることにより、自然から乖離し、自然を汚し、破壊し、凌辱して続けて参りました。
このまま大半の人間が「止まる」選択をせず、走り続けたら…
自然や宇宙が、人間を「止める」という選択をするかも知れないと私は思います。
それでも、希望をもって、誠心誠意、今を生きる。
私には、それしか出来ません。
お客さまのKさん。
「止まる」ことについて、改めて考察の機会を与えてくださったことに、心から感謝をいたします。
ありがとうございました。
今日がみなさまにとって、最高の一日でありますように。