【抗わず、汚さず、偽らず】
これは、盟友である岡本 よりたかさんが、「自然に寄り添う新しい生き方とは?」と訊ねられて答えた言葉である。
まさに箴言であり、私もよく引用をさせていただく。
私たちにとって、いちばん身近な自然は、自分の身体である。
整体では、主として身体に向き合うのだが、この箴言は整体にもそのままあてはまる。
以下、それぞれについて述べてみたい。
<抗わず>
病気、痛み、症状。
これらはすべて、命の営みの乱れであり、治癒反応である。
命の訴えでもある。
身体は、絶対に誤ることはない。
与えられた原因に対し、素直かつ正確に、結果を出し続ける。
命を守るために、懸命に働き続ける。
それだけのことだ。
しかし、多くの人は、病気、痛み、症状を忌み嫌い、抗い、複雑化させ、長引かせている。
その結果が、年間40兆円もの医療費である。
<汚さず>
私たちは、不自然なもの、人工的なものに囲まれて暮らしている。
知らず知らずに、自然界に存在しないものを摂取している。
その最たるものは、薬である。
石油を原材料とする合成新薬は、身体を汚し、命の営みを乱し、自然環境を汚す。
それでも、大半の人は、即効性のある薬を欲しがる。
医師の言われるままに、子どもに予防接種をうち、薬を飲ませる。
その他、農薬、化学肥料、遺伝子組み換え食品、食品添加物など、私たちの身体を汚すものが蔓延している。
<偽らず>
多くの人が、自分を偽って生きている。
お金を稼がねばならないから…
家族を養わないといけないから…
住宅ローンを払う必要があるから…
老後に備えねばならないから…
さまざまなものにがんじがらめになり、やりたくもない仕事に従事している。
我慢が慢性化すると、自分を偽っていることにさえ、気付かなくなる。
その結果、社会は、心を病み、身体を病む人ばかりになっている。
「健康とは、単に身体のことではなく、単に病気でない状態のことでもない。健康とは、体・心・魂が、ひとつの生命体として調和し、リズムを保っている状態のこと。魂が、心と身体を通して自由に表現されている状態である」
―――ドクター ランドルフ・ストーン(ポラリティセラピー創始者)
人間は、地球上で唯一、自然に背き、自然に抗い、自然に手を加える能力を授かった。
ここ数百年ほど、その能力を存分に発揮し、自然を汚し、蹂躙し、破壊し尽してきた。
その結果が、現代の社会である。
アスファルトで覆われた大地。
汚れた水。
不自然な食べもの。
身の周りに蔓延する放射能、電磁波、化学物質。
澱み、濁った空。
さらに、窮屈な社会システムや常識、規律等が私たちを縛り付ける。
私たちは、次々と要らないものを作りだし、大量の食物を廃棄し、ゴミの山を積み上げる。
作り出された危機に怯え、私たちは駒となり、競い、争い続ける。
自らの手で、自らを生き苦しくしている。
私たちの多くは、そのことに気付こうとさえしていない。
気付いても、諦め、惰性に身を委ねている。
傲慢、かつ愚か極まりないと思う。
これが、文明か?
これが、豊かさか?
これが、平和か?
私は、違うと思う。
真の文明は、自然との調和から生まれる。
真の豊かさは、自然との調和から生まれる。
真の平和は、自然との調和から生まれる。
私は、そう思う。
だから、私たちは、自然に還らねばならない。
自然に対する敬意と畏怖の気持ちを取り戻し、謙虚にならねばならない。
自然を愛し、自然に感謝し、日々を生きねばならない。
できるだけ抗わず、汚さず、偽らず、自然と寄り添う新しい生き方を模索し、実践する。
そのヒントが、整体にあると考えている。
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以下、岡本よりたかさん自身の解説をFacebook投稿から引用させていただく。
「抗わず、汚さず、偽らず」(再掲)
「自然に寄り添う新しい生き方」とは?と問われて、僕はこう答えた。この言葉に感銘を受けてくれた西田聡さんが、これをよく引用してくれる。
この言葉について、僕なりに解釈を書いてみる。大変おこがましいが、全ての言葉は植物の姿勢を表したつもりである。
「抗わず」植物は自分を取り巻く環境に寄り添う、つまり適応するだけであり、抗うことはしない。植物は抗ったところで環境が変わらないことを知っている。日の当たらない場所であっても、環境に適応した植物が芽吹くだけだ。
日を必要としない植物は地面を這うように生きる。日を必要とする植物は日を求めて背丈をグングンと伸ばすが、日陰で同じことをすれば、さらに日陰が大きくなるだけである。そうなれば益々他の植物が育たなくなり、生物多様性が失われて行く。生物多様性が失われた時、植物は揃って絶滅する。
しかし人間は抗うことが好きだ。平気で環境を変えようとして日向を消滅させる。日向が消滅すれば、やがて人間は絶滅するであろう。生物は決して抗ってはいけないのだ。必要なことは環境に適応してゆくことだと思う。
「汚さず」環境が汚染されて行けば、もちろん植物は生きてはいけない。どのような植物であれ、環境を汚すことはしない。その環境を保持し適応しようとするだけである。もしその環境が汚染されて行けば浄化しようとする。それは抗っているのではなく、元に戻そうとしているのである。
汚さずというのは、貶さずという意味でもある。植物は決して他者を貶したり(けなしたり)はしない。他者を攻撃することは、結果的には自らを貶める(おとしめる)ことになることを知っているからだ。
人間は他人を貶めることで、自らのアイデンティティを保とうとする。愛のある批難ではなく、ただの誹謗中傷であれば、結局は自分を貶めることになる。だからこそ、自然に寄り添って生きるためには、地球環境も他人の心も汚してはいけない。
「偽らず」
偽るという行為は人間特有の行動である。植物は実に真っ正直に生きている。自分ができる範囲でできることだけを一生懸命行う。それが生きるための最適な手段だからだ。
動物とて同じである。彼らが偽っているような行動を取ることがあるが、それは偽りではなく、その時点では真実でしかない。だが人間だけは偽る。それは、他人に対し偽るという意味ではなく、自分自身に対してという意味だ。
心で思ったことを引っめ、自分自身に嘘をつく。今の生活が良く無いことを知っていても、これしかないと言い聞かせる。こんな物を作ってはいけない、売ってはいけない、食べてはいけないと知っていても、自分に偽り続けるのだ。
こうした植物とは正反対の三つの行動をとり続ける事が、結局は地球環境を壊し、食の安全を失わせ、欲望と憎悪で地球を覆い尽くしてしまう。
「抗わず、汚さず、偽らず」に生きてゆけば、心に平和を取り戻せるはずである。多くの悩みが悩みではなくなり、貧しいことが幸福へとつながり、全てのことに感謝の心を持てるようになる。
自然に寄り添う生き方とは、植物のように生きることである。