会社員時代、私は一貫して「企画」という仕事に携わっていた。事業分野や取り扱う品目・サービスは様々であったが、常に自社、顧客、社会に目を向け、何を提供するかを考え、その実現に向けて思考を巡らせ、画策するのが仕事であった。
新たな企画を着想し、上申した際に必ず最初に問われるのは、決まって「それは儲かるのかね?」であった。違う!それより先に考えることがあるだろう!と、いつも私は思っていた。自社のリソースを活かせるのかどうか。顧客の役に立ち、喜ばれるかどうか。さらには社会にとって有益なものであるかどうか。まずはそこを徹底的に議論すべきだろう。しかし、それらは二の次であり、儲かるかどうかが第一とされることに、私は激しい違和感を感じ続けていた。
その違和感を上司や同僚に話しても「君の言うこともわからないではないが、理想だけでビジネスはできない」と言われるのがオチであった。どうして理想を追い求めてはいけないのか。理想を掲げずして、どこを目指すのか。私たち大人が、事業を発展拡大させることにのみ熱中していて大丈夫なのか。私の中の違和感は、年齢を重ねれば重ねるほど、肥大していった。
確かに企業理念というものが存在し、そこに企業が目指すべき姿や立派な使命が描かれてはいた。しかし、私が感じる限りにおいて、それらは飾り物であり、絵に描いた餅でしかなかった。理想と現実にやっていることの乖離に、私は苦しみ続けた。
その結果、40歳を目前にした頃、私は心を病んだ。周囲や常識と合わない自分を社会不適合者、落伍者と決めつけ、自己否定と自己嫌悪を強めた。やがて「うつ」と呼ばれる状態になり、毎日「消えたい、死にたい」と思いながら過ごすようになった。そのような状態の私を支え、救ってくれたのが「合氣道」の稽古であった。合氣道の思想と実践に心酔し、やがてその延長線上に「整体」という仕事を見つけた。
大企業の中には自分の居場所がない、自分を活かすことができないと痛感していたこともあり、私は47歳の時に会社を辞め、整体で起業することを決意した。周囲からは猛反対されるか、気が狂ったと嘲笑されるか、いずれかであった。未経験の仕事、未知の業界、しかもいきなりの独立開業。誰が考えても、うまくいくはずがなかった。でも、私は前へ進むしかなかった。
決死の思いで飛び込んだ世界であったが、そこも違和感だらけだった。その代表格が「ゴッドハンド」「繁盛治療院」「整体師は治してナンボ」という、業界で当たり前に使われている言葉の数々であった。最初のうちは抑えていたが、違和感を口にし始めた途端に、人が離れていった。批判され、非難され、陰口を叩かれた。苦しく、辛いことであったが、会社を辞める際に「残りの人生は自分に誠実に生きる」ことを決めていたので、ひるまなかった。
もともと、日本の社会、さらには貨幣経済を中心に据え、発展と拡大を大前提とする現代社会には、違和感だらけであった。2020年初頭からの世界的騒動が、違和感を決定的なものにした。それが大きな機会と肥やしになり、私は自分に対して誠実であるかどうかを、さらに問うようになった。そして、この二年間で、自分の“在り方”をかなり明らかにすることができたと思う。
違和感は大切であると思う。違和感は、生き辛さや息苦しさとなって現れるが、そこに十分に向き合うべきだと思う。いずれにせよ、自分を欺かないこと、自分を誤魔化さないことが、これからの時代において、ますます大切になると思う。もちろんそれと同等以上に、自分が何に対して喜びを感じるのか。そこに向き合うことが何よりも大切であるのは、言うまでもない。
添付の写真は、昨日の『身心調律講座(現在の『心整体法教室』』において、参加者の一人である仲谷 史子先生が撮影してくださったものだ。いつも“私らしさ”を上手に捉えてくださるので、とてもありがたく思っている。また史子先生が主宰されている『心に響く文章講座』もまた、自分に向き合う絶好の機会を与えてくださるゆえ、私はとても助けられているし、多くの方にお勧めしたいと思っている。